エッセイ1. D. ゲール・ジョンソン博士の叱責

 私の手元に1995621日付の手紙のコピーがある。これは20034月に死去するまでシカゴ大学の現役名誉教授だったD. ゲール・ジョンソン博士がスタンフォード大学教授のR氏に対して送った手紙である。その手紙の内容からみると、当時、R氏は他の二人の研究者と共著で “Supply, Demand and China’s Future Grain Deficit”(世界における食糧需給と中国の食糧不足) という論文を作成している。この論文は中国の穀物需給は不足を極め、輸入が拡大し穀物の国際価格を引き上げかねない、という内容のもので、当時、中国が世界の穀物価格を暴騰させる、とするワールド・ウォッチ研究所のL. ブラウン所長の意見に賛同する論文のようである。これをジョンソン博士が目にしてそれに対するコメントをR氏に送ったのである。この中で、ジョンソン博士は「あなた方はこうしてブラウン氏の考えを支持したことに対し後悔するときが来るであろう」と断言、かつ叱責している。

 そのように言い切るジョンソン博士の底流にあるのは何であったか?将来のことに対して言及することは誰にしても困難なことである。社会科学の範疇に於いては生産活動が天候などの自然現象に左右されるだけでなく、経済活動の変化なども食料需給の予測を困難にしている。よって、誰しも確信を持って将来を語ることはいささか自分のクビを賭けた発言ということにもなる。その中でジョンソン博士が「あなた方は後悔するであろう」と言い切った背景には、ジョンソン博士の持つ研究の蓄積と膨大な情報量によるものであろう。

ジョンソン博士はその前年にブラウン氏の意見に反論する論文 “China’s Future Food Supply: Will China Starve the World?(将来における中国の食料供給:中国は世界を飢えさせるか?)を発表している。この中でジョンソン博士は過去の食糧需給データを地域ごとに揃え、さらに、その地域の政策や動向を把握した上で今後の状況を予測する、という過程を経ている。このため、ブラウン氏が日本の生産状況や遺伝子学者の意見を引用して論じていることに対し真っ向から反論しているのである。穀物消費が増大しているのは畜産物の飼料として増大しているのであって、穀物を直接に人が消費する量は減少していること、単収の増加は現に世界の各地で実現されていること、中国の単収は過大評価されていること等、ブラウン氏が見逃しているとされる点を指摘している。そして、中国は食糧輸入を拡大することがあっても食糧危機を招くほどの価格上昇はない、多少の上昇はむしろ農業依存の高い発展途上国の生産者に食料増産の意欲を駆り立てることになる、と結論している。

その時点からすでにほぼ10年が経過している。いみじくも中国はこの10年間は世界が驚くほどに大きな経済成長を遂げ、食生活も向上している。そして、いま中国は2千万トン余のダイズを輸入するまでに至り、これもここ数年間の間に急激に増えている。それでも市場は驚かなかった。ダイズの国際価格はむしろ1996年をピークに値下がりを続け、2002年からようやく回復の兆しを見せた。主要穀物の国際相場もほぼ同じ状況である。    (S.I.)

 

 

 

 

エッセイ2. 石油に戦いを挑むアメリカのコーン

 今年の2月に首都ワシントンで開催された米国農務省の「農業フォーラム」(USDA: Agricultural Outlook Forum,2005) は生物燃料(Bio-fuel)にかなりの重点を置いた内容であった。2日間連続で生物燃料のセクションが設けられ、アメリカにおけるコーンを原料にしたエタノール生産の状況が多方面から報告されていた。

 こうした中、初日の夜に開かれたディナーにおけるスピーチは「生産者、消費者、そして環境にお届けするテクノロジーからの贈り物(The Promise of Technology for Farmers, Consumers and the Environment)」というテーマで、ネイチャーワークスLLC社の社長、K.ベイダー女史によるものであった。ベイダー氏の会社はこれまでの石油製品のプラスチックに変わる生物燃料から作った、数ヶ月で腐食するタイプの容器などを生産している。今、アメリカの中で、最も急成長を遂げている会社のひとつとされている。

 ベイダー氏は「世界を変えずに世界を変える」と訴える。つまり、日ごろ生活している中では余り気がつかないが、実際には変えている、というやり方である。石油製品のプラスチックから生物製品のプラスチックに入れ替える。使っている人は気づかないかもしれないが、石油製品と生物製品では環境にとって大違い、という訳である。生物製品とは、コーンを原料にしたエタノールから作られたものである。

 ベイダー氏のスピーチはリズミカルである。「Corn vs. Oil(コーンかオイルか……)Bushell vs. Barrell(ブッシェル(農作物の量を測る単位)かバーレル(石油の量の単位)か……)Mid-West vs. Mid-East (中西部(アメリカのコーンの産地)か中東(石油の産地)か……)Plant vs. Pump(植える(コーンを)のか汲む(石油を)のか……)」というように、どちらを選択するのか、という問いかけをする。さらに、「中東の石油に頼るのか、それとも、自国のコーンに頼るのか」、「環境にはどちらがいいのか」、とアメリカ国民に問いただす。こうして、中東の石油に過度に頼ることをやめ、自らが生産できるコーン由来のエタノールに力を入れようではないか、というのだ。

 アメリカのエタノール生産は勢いがよい。エタノールは1ブッシェルのコーン(約25kg)から2.8ガロン(約10リットル)のエタノールが取れる。コムギは余りよくない、コメはかなりよいが、価格が高い、とアメリカのエタノール関係者は言う(2005年米国農務省「農業フォーラム」)。コーンのエタノール向け消費量は石油価格の高騰を背景に、ここ数年間で急速に増大し、2005年には15億ブッシェルが予測されている。2000年の6億ブッシェルに比べ2倍以上の増加と言うことになる。2005年の輸出も含めたアメリカの全消費量の15%近くを占める状況である(USDA Baseline, 2005)。エタノールの生産量は42億ガロンとなる。これはアメリカが消費している年間ガソリンの量(1400億ガロン)の約3%に当たる。このような状況をみると、アメリカのコーンは石油という大横綱を相手に戦いを挑んでいるようだ。だが、コーンは決して負けてはいない。

 そこで、少し角度を変えて眺めてみたい。コーンと石油が戦っているさなか、コメはどうしているのであろうか?コメは戦わないのだろうか?アジアのコメは戦わずして負けていくのであろうか? 実はあらゆる角度からの戦いが展開されている。コーンは石油とだけ戦っているのではない。コメやコムギ、ダイズとも戦っている。これらの主要4穀物は互いに自分のシェアを賭けて戦っているのである。そして、それぞれの穀物にはそれぞれの地域という後援会がある。コメが穀物市場でしっかりと戦わなければ、コーンが石油という生産物と戦っていると見せかけながらコメをやっつけてしまうということもあり得る。コメが負ければ、その後援会も負けたのと同じ。コメの後援会はアジア地域である。コーンの後援会はアメリカを中心にした北米地域ということになろう。

 後援会も、これからは生き残りを賭けてしっかりとそれぞれの穀物を応援して行かなければならない。                                     (S.I.)

 

 

 

 

エッセイ3. ニューヨークの寿司レストラン、S店で

 このS店はまだ開店してから5年目。しかし、日本人の板前に加え、店員も日本人が多い。この店のオーナー、S氏によると、ここ数年間でも日本食のブームは衰えを見せるどころか、さらに凝った日本料理に客は目を向けていると言う。会席料理など、少量でいろんなものが食べれるようなものを求め始めていると言うのだ。「昔は、日本料理店と言えばすき焼きや照り焼きが多かったのですが、今はお客さんの舌も肥えてきて、高度な料理を求めてきます」と、S氏。ニューヨークは、世界中の人の集まる場所。だから、リッチな人も多い。それだけに、お金には余りこだわらず、質を求めるのかもしれない。

 今、この店が使っているコメはカリフォルニア産のジャポニカ米。食べてみると、もう少し柔らかくて温かいほうが口ざわりはいいのに、と思った。日本の高いコメを直接仕入れて使うのは採算的に難しいだろうか、と尋ねると、意外にも、「価格には余りこだわりません。品質が良いものを使いたい」と言う。3年前にワシントンのすし屋で話をした時には、アメリカ産の価格の2倍くらいまでなら、何とか日本のコメを入れたい、と言う答えが戻ってきた。そのときの計算では、日本産のコメはどうしても3倍の価格であった。

 実際にコメのコストが多少増加しても、そのウェートは小さい。現地価格の34倍くらいであれば、日本産も戦えなくはないはず。しかも、有機米。これならいけるはずである。どうだろう?

 それにしても日本料理店は多い。ニューヨークには300店くらいはあるのではないかと言われる。加えて、すしのファーストフードまである。生粋な日本人の板前による店は300店はないかもしれないが、ニューヨークの街では23ブロック歩けばそれなりのしっかりした日本食店が一つは見つかる。ちょっと慣れると、探す必要もないくらいだ。ホテルの多い場所ではなおさらだ。

 私がアメリカの寿司ブーム・日本食ブームを初めて実感したのは1995年だった。あれから10年経つ。この間にブームはうなぎのぼり。そして世界中に広まった。今でも日本食ブームはいきおいがある。この調子では、世界規模でまだ続くであろう。是非とも、この波に日本産のコメも乗るべきではないか。ちょっと気づくのが遅くなった日本産米だが、遅すぎることはない。あせらずとも、しっかりとブームに乗ってほしいものである。                (S.I.)

 

 

 

 

エッセイ4. 肥満への誘惑

米国の朝食の安いことと言ったら時おり度肝を抜かされることがある。45年前だったが、ウィスコンシン州のある町でレストランの窓に宣伝してあったのが、「1.29ドルのBreakfast」。これはいったいどんな朝食だろう、と思ってある朝、私はそのレストランに入ってみた。目玉焼きにトースト、ポテト。インスタントではない。これはすごいと思った。これにコーヒーをつけて50セントの追加(コーヒーはアメリカでは飲み放題が一般的)。それでも2ドルでお釣りが来る。チップは代金の10%から15%だから、それを置いたとしても2.5ドルで十分に足りる。その後、このお店はこの朝食をさすがに値上げをしていたが、それでも2ドルを下回っていた。

さて、日本の朝食は・・・。山口で喫茶店に入りモーニングを注文した。コーヒーも付いていたが、650円だった。ざっと6ドルである。山口大学の生協でも朝食があった。これにはコーヒーも付いて350円であった。大学の生協と言うことでこれだけ安くできるのであろうが、すでに料理されたものが並べてあるというもので、お客さんの注文にあわせて熱々の料理というものではなかった。

鳥取駅の喫茶店のモーニングは私も気に入っている。450円で、コーヒーが付いている。さすがにコーヒーは飲み放題ではなかったが、ロールパンが二つ、ポテトサラダの1スクープ、野菜のサラダが少し、それにゆで卵。

ところが、鳥取にも近年はすごいやつが現れた。基本的にはドリンクバー(ドリンクの飲み放題)で250円。早朝はこの価格でモーニングが出る。パンとゆで卵がつくが、値段は同じ。このような店が何軒かある。全国チェーンなので、私は出張した時もその類の店を探して、ちょっとゆっくりとする。

このように、食べ物の値段がだんだん下がっている。あっ、そうだ、マクドナルドも安くなっている。この会社が始めて日本に上陸したウン十年前には、ビッグマックが一個500円あまりで売られていた。その価格を今の貨幣価値で直した実質価格はおそらく3倍くらいの1,500円くらいになるだろう。それでも長い列が東京にできていた。今のビッグマックはというと1個が260円。安売りの時はもっと安くなる。

そのころ、コーヒー一杯の値段も当時のお金で500円くらいしていたものである。私が学生のころ、東京に遊びに行った。あの人ごみの中を歩き疲れて、ちょっと喫茶店にでも入って一休み、と入ったが、たった一杯のコーヒーに450円くらい払った。これも今の貨幣価値で言うならば1000円以上の価格となる。今は、コーヒーだけなら200円もしないレストランや喫茶店が東京にもたくさんある。一杯が1000円もするコーヒーと言うのは、今や豪華なホテルのリッチなムードのレストランの話である。

世の中、変わったものだ。食料の値段がだんだん安くなる。これも、世界の農業技術、流通技術、情報技術、などの総合的な技術革新と貿易の拡大によるものである。だが、このように食料の値段が所得に対して安くなるとどうなるか?いわゆるエンゲル係数が小さくなるわけであるが、この行く末は・・・。

最近のアメリカの映画で「Super Size Me」と言うのがある。私はこれを200412月にバンコクに行く飛行機の中で見たが、食料問題を扱う私にとって、これは実に面白かった。考えさせられた。一人の主人公が、「どうしてアメリカ人はこんなに太っているのだ・・・」と自分の声をナレーションで流しながら、歩いている人たちの巨大な後姿を映し出す。普通のアメリカの都会の通りである。が、確かに多い、肥満が。日本の比ではない。歩きながら食べている人もよく見かける。そこで、この青年主人公はその原因をつきとめようとする。彼が注目したのはファーストフード。その代表的なのがマクドナルド。

ここで、彼は1ヶ月間、マクドナルドの商品だけを朝昼晩3食とも食べて過ごす。そうしてその間に自分の体がどのように変化していくかを、医者に通いながら調べてもらう。するとどうだろう。健康体であった彼の体は、脂肪がどんどんたまっていって体重が増え、コレステロールもたまり、体力はだんだんと減退して行く。良心的な医者から半月もしないうちに「もうそんな食生活はやめろ」と忠告を受ける。

最後までやりとおした彼は、結局はこのようなファーストフードがアメリカ人の健康を蝕んでいると結論付ける。食べれば食べるほど安くなる、という仕組みの価格帯を作って、ビッグマックをあと一個買えば二つ目は半額、飲み物もビッグサイズにすると超割安、と言うような売り方で、一人の顧客に対して少しでも多く買わせよう、食べさせようとする。中身は決して健康的な食べ物ではない。学校給食でも同じことが起こっている。このようにして、アメリカ全体で肥満の構造ができているのだ、と主人公は主張。こんなことを続けていたら、アメリカ人全員が総肥満、総病人になる、と警鐘を鳴らす。

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ものは安いに越したことはない。でも、安すぎて買い過ぎては害となる。これからも食料の価格は安くなるだろう。うれしいことである。が、自ら制しないと、不幸を招く。一般に、3食をしっかり食べよ、と言う。だが、私の経験では、3食をしっかり食べていたら肥満になる。少なくとも朝食は必要ない。朝は水を飲めばいい。出張に出ると、ホテルで朝食付き、と言うのがある。外国ではこの手のホテルが多い。私も誘惑に刈られて食べてしまう。そのようなことを一週間も続けていると決まって体重が増えて調子が悪くなる。

その昔、ソクラテスは言った、「すべての欲情を卑しみ、食物は、なるべく簡単に、暴飲暴食を慎み、常に少量の飲食物を摂ること。人は、食べるために生きるのではなく、生きるために食べるのである。」ソクラテスが生きたのは紀元前400年のころである。そのころすでに食べ過ぎが社会問題となっていたようだ。哲学者の彼は自ら食欲を制したであろう。そうして、彼は毒殺されるまでの約70年間を生きた。毒殺されなかったらもっと生きたであろう。その弟子、プラトンは80歳くらいまで生きている。

どうせ生きるなら、楽しく生きたい。食欲があり思いっきり食べると言うことは楽しいものではあるが、度を過ぎると害を招く。バンコクの街を歩いていると肥満の人はほとんど見かけない。が、しかし、現地の関係者に言わせると、経済発展と共に食生活が洋風化し、肥満児が多くなりつつあると言う。確かに、マクドナルドやピザなどのファーストフードの店には若者であふれていた。

自らの健康を守るため、技術の進歩、経済の発展を、私たちは賢く活用しなければならない。この大きな経済の流れに、時として私たちは抵抗しなければならないこともある。 (S.I.)