主な研究の内容

伊東正一


1.農業政策の計量モデリング

 世界各国、どの国においても農業政策は常時変化している.よって、複雑に関連する多くの政策をどのように数値化するかということが食料の生産構造を計量的にモデル化する段階において研究者の悔みのタネとなっている.時には単にダミー変数が用いられたり、effective farm price(実効的農家価格)が用いられたりする.しかし、政策そのものが極めて複雑化しているためそのような変数では十分に農家の意志決定行動を測定することは困難である.こうした中、Chen博士はIRF法(Implicit Revenue Function)を1980年代中期に開発し、これをアメリカの綿花に適用.この計量モデルにより錦花の生産量見通しをこれまで以上の正確さで予測し全米で高く評価された。

 伊東はChen博士に師事し、このIRF法をアメリカの稲作に適用し、計量モデルを開発した。このモデルの特徴は農家の意志決定は総合的な農業所得の変化に影響されることに注目し、最終的にその総合的な農業所得(R)を決定し、シュミレーションに使うという方法である.このモデリングの困難な点はある特定の作物に関する政策をすべて熟知し、それを数値化しなければならないことである.よって米国の農業政策を1920年代から現在までを詳細に調べ上げ時系列に数値化し、稲作農家の意志決定パターンを計測した.この研究成果は全米農業経済学会誌(AJAE)に採用され、Chen and Ito (1992)の連名で掲載された.


2.米国の農業政策

 農業政策の計量モデリングの基礎となるのが農業政策そのものを随時フォローしていくことである.米国の農業政策は4〜5年ごとに改訂され新しく打ち出されるが、これらの政策についてその変化を調査し、最も新しい政策を常にフォローしている.最近の農業政策は1996年4月に成立した1996年農業法(FAIR)であるが、これは紀元2002年までの7年間にわたるものである.この新法ではまた、1920年代から施行されてきた減反政策(補助金を出して減反を勧める政策であるが決して強制ではなかった)は完全に姿を消すことになった. このような政策により今後アメリカの農業はどのように変化していくのかについて研究を続けている.


3.世界における主要穀物の需給変化とその影響

 穀物はコメ、コムギ、トウモロコシのいずれをみても多くの国々で伝統的に主食として用いられている.しかし、各国それぞれの経済発展やそれに伴う都市化現象により人々の食生活は変化している.コメを例にとるとアジアは世界のコメの9割の消費量を占め、まさにコメは主食となっているわけであるが、このアジア諸国において経済発展とともに一人当たりの消費量が減少していく傾向にある.それは日本のような発展国だけではなく、発展途上国でも同様の傾向がみられる.このような状況を計量的に分析し、“Rice in Asia:Is It Becoming an Inferior Good?”というテーマでAJAE(1989年)誌上で発表した.一方で、アジアのコムギの消費量は増加している.このような状態が将来も続けばアジアの食生活はどうなるのか、アジアの農業はどうなるのか−−.このような状況分析を縦続して行っている.


4.国際価格の変動と生産及び貿易量の変化

 国際価格の変動によって各穀物の生産量や貿易量がどれだけ変化するか、また、国際農産物輸出競争はどれだけ激化しているか、について調査・研究を行っている.1994年以降は穀物の国際価格が高騰し、その影響で世界の生産量は記録的な増産を遂げた.また、貿易量もコメを含めて価格の上昇に伴って増加の傾向を見せている.国際価格の変動はどのような国々に影響を及ぼすか、生産面積と単収はそれぞれ独得な影響を受けるか、貿易量の増加は輸出国の国内生産・需要とどのように関連しているかーーなどを総合的に調査・分析している.


5.世界におけるジャボニカ米の生産・流通と潜在性に関する学際研究

 文部省の国際科研により1991年度から縦続して現地調査に重点をおいて研究している.当初はジャボニカ米はアジアの一部でしか生産されていないとして、潜在性は極めて小さいとみられていたが、メンバー約30人(うち半分が外国研究者、代表:伊東正一)からなる本研究により、ジャポニカ米の潜在的生産能力は世界には赤道に近い地域(ベトナムやフィリピンなど)も含め、かなり広い地域に分散していることが明らかとなった.特に南米南部では広大な平野が放牧地として利用されているがこの地方はジャボニカ米生産にも適しており、放牧地を水田に転換する農場も確認された。

この研究では潜在的生産能力に関し、作物学、育種学、経済学など広域の分野を総合する学際研究として遂行しているところに特徴がある。こうした学際研究により、多方面からの分析が可能となり、より正確な見通しが得られる。これまでカバーした地域には未だ限りがあり、今後は旧ソビエト地域を中心調査する必要がある。また、これまで調査した国々でも生産量の拡大など年々変化してきており、研究は継続する予定である。


6. 世界の在庫量の変化が国際価格に与える影響

 世界の穀物在庫量は年ごとに変化し、近年はその量が減少していることが懸念されている。しかし、価格は1960年代からの実質価格でみると近年の高騰も実質的にはあまり大きな価格上昇ではなかった.よって、在庫率または在消比率(Stocks-to-use ratio)を1960年代から時系列にとり、また、各穀物の実質価格の変化を同時にとり、その関連性を統計学的に分析・比較した.分析の結果、在庫率の変化が価格変動に与える影響は60年代、70年代は比較的大であったが、近年においては小さくなっていることが示唆された.これは生産技術をはじめインフラの改善による運搬技術や情報伝達技術など、総合的な技術の革新により、国際貿易の場における供給体制が敏速化しているためと推察される.

 この研究内容は1997年度日本農業経営学会研究大会で発表した.ただ今後ともこの分析は縦続し内容をさらに究めていく必要がある.また、このように時代の変遷、つまり技術の発展、に伴って随時“進化”する生産・流通の構造を多角的にとらえる研究を継続していく必要がある.


7.技術変革及び政策の変化を内生化した世界穀物需給シミュレーション予測モデルの開発

 世界の各機関がこれまでに発表している世界の食料需給予測はその多くが過去のデータの分析結果に基づいて将来の見通しをするというbackward-looking(後方視)的な手法に頼っている.このようなシミュレーションはdynamic(動学的)手法はモデルの中に組み込みながらも結果的にはstatic(静的)な見通しにならざるをえない.よって、これまでのモデルの多くが現状とはかけ離れた将来予測に陥っている.このようなモデルの制作者はassumptions(多くの仮定条件)を設定した上で予測しているのでそのassumptionsの内容が現実的に変化すれば予測とは異なった状況が現れるのは当然である、と弁解するが開題は現実的なassumptionsをいかに設定するか、という点も製作者に課せられる重要な課題である.このため、計量モデルの製作者は現場(例えば農家の技術レベルや考え方、消費者の嗜好の変化など)がどのように動いているかを把握する必要がある.その際、そうした新しい変化は一般に公表されるデータでは把握できない場合がある.しかし、そのような新しい状況の変化、技術の革新を内生化したforward-looking(前方視)的な手法をとらなければ現実に即した将来予測は困難である.

 よって、そのような新しいタイプの手法について模索中である.このようなモデリング手法の開発は前述の研究内容を越える総合的(学際的)な知識や計量テクニックが十分に構築されて初めて開発可能になるものと考えられる.