世界におけるジャポニカ米生産の現場に学ぶ
―日本品種水稲の海外適用とジャポニカの最高収量から―
鳥取大学名誉教授 津野幸人
[内容]
1、はしがき−多収穫への道を閉ざした稲作を憂う−
a.低温に強いジャポニカ
b.中国水稲粳(ジャポニカ)の食味を巡って
c.粘る米の極点である糯米をなぜ常食しないのか?
2、ジャポニカ再考―特に中国を舞台として−
a.海外適用を阻んだ要因とその克服
b.カリフォルニア州での‘あきたこまち’栽培
c.アメリカでの日本品種水稲−中干しの効果と除草剤の薬害−
d.日米両イナ作における農薬使用について
3、日本品種の海外適用―アメリカ合衆国での栽培を巡って−
a.海外適用を阻んだ要因とその克服
b.カリフォルニア州における‘あきたこまち’の栽培
c.アメリカでの日本品種水稲−中干しの効果と除草剤の薬害−
d.日米両稲作における農薬使用について
4、ジャポニカ型水稲の最高収量―中国での到達点―
a.覆そう環境決定論の常識
b.雲南省における二つの多収穫事例
5、日本品種の未来像を求めて−逞しさと多様性で未来を拓く−
a.ひ弱な日本品種に未来はあるか
b.いかにして現状を超えるか−品種改良の方向を模索する−
6.むすび
[摘要]
海外での日本品種水稲の栽培現場に接し、また広くジャポニカ栽培の実情を観察した結果、栽培環境の変動に対して脆弱な日本品種の根本的な見直しの必要を感じた。
日本品種は概して深水条件で根腐れが発生し、かつ倒伏してしまう。育種によって草丈を低くして耐倒伏性を強化したのだが、このために一穂に着く籾数が減った。これと根系の弱体化が多収穫への道を閉ざしている。
中国のジャポニカ型水稲の改良方向には学ぶべき点が多い。大胆に世界に遺伝資源を求めよう。まず、食味にこだわる余りに多収性への道を閉ざした現在の銘柄品種を克服しなければならない。水稲育種でも積極的に民間活力を利用すべきではないか。
1、はしがき−多収穫への道を閉ざした稲作を憂う−
北海道開拓が本格的に始まった明治初期において、入植者の切なる願望は米を食べたいということであった。当地で畑作を奨励した明治政府は屯田兵の稲作を禁止したが、営農に必須の品である縄、むしろ、草鞋の自給は稲作なしには達成できなかった。また、米を食べなければ過重な農業労働に耐えるところの十分な力を産み出せないのも日本人の性である。1887年当時までは年平均気温9℃である函館付近で江戸時代の品種赤毛が細々と5〜6百町歩程度営まれていた稲作を、かれら開拓民の米飯に対する願望が1929年には道北年平均気温6℃地帯の天塩、紋別、網走をむすぶ線にまでにまで稲作北限を押し広げた。この陰には住民の願望に応えて、ぼうず、はしりぼうず、農林11号などの低温に強い品種の開発が積極的になされた点を見落としてはならない。作物新品種の性格は、その時代の社会情勢を忠実に反映しているのである。
国外に目を転ずれば、日系アメリカ移民にしても同様に米食に対する欲求は絶ちがたく、新大陸において水稲栽培のパイオニアとなったのである。また、亜熱帯から熱帯に位置する台湾では、わが国が領有するや直ちに産米改良が企てられて内地市場を意識した一連の蓬莱米品種群が育成されたことはよく知られている。しかし今かえりみるとき、その米は日本人の嗜好に適する粘り気のある炊飯の実現には今一歩の感を拭うことはできない。内地での不評の一因として当時の海上輸送による品質劣化があったことを否定はできないが、現地で常用した台湾在住の日本人は決して蓬莱米の食味に満足はしていなかった。
第二次世界大戦後、わが国の経済活動が活発化するにつれて日本人の海外進出は目覚しく、その経済的環境も豊かになってくるにつれて、粘りある炊飯への郷愁を現地で満たそうとする動きが高まってきた。この需要を満たすために熱帯各地では日本品種水稲の栽培が試みられてきたが、せいぜい各地で数ヘクタール程度を超えたことはなかった。
こうした情勢に様変わりをきたしたのは、わが国米市場の門戸開放が強行されてからである。すなわち、日本国内の消費者をターゲットとした短粒粘質米生産が主にアメリカ合衆国および中国で企画され、このための日本品種水稲の本格的栽培が両国で着実に進行している。
一方、わが国における米生産は厳しい減反政策の施行のもとで、将来展望を閉ざされたまま特定銘柄米に集中した生産がなされており、必ずしも風土と馴染んだとは言えない品種が普及したために、わが国の平均単収の伸びは明らかに停滞している。これに加えて老齢化した農家労働力は、気象災害への抵抗力を著しく弱めており、不測の事態に対応し切れなくなっている。農村を取り巻く諸般の事情を勘案すれば、主食である米の海外依存度は好むと好まざるとに拘わらず時の経過とともに高まりつつあるものと推測できよう。
このような状況を敏感に察知して伊東正一氏は、世界におけるジャポニカ米の生産・流通に関する学術調査を1991年にスタートさせた。この調査研究は1995年から文部省科学研究費「世界におけるジャポニカ米の生産・流通と潜在的生産能力」(代表者・伊東正一)へと継続・発展して、この種の調査研究では稀に見る息の長さで今日に至ったのである。
筆者は、鳥取大学在職中より現時点まで本研究に関わり、米生産の技術的分野を担当してきた。また、1995年に同大学を退官した後もアメリカ合衆国に毎年渡航し、アーカンソウ州およびカリフォルニア州における日本品種水稲の栽培農家と緊密な関係を保ってきた。この間に経験したアメリカのSky- farmingによる大規模稲作とUSA農民からの印象は強烈であった。20ヘクタールの稲作規模といえばわが国では珍しいが、アメリカの水田一筆にも及ばない微細規模である。わが国の稲作を守るためには、この強大な巨人の繰り出す矛先をかわす手立てについて、衆知を傾けて模索しなければならないと思う。
30年前に団長を勤めた日中稲作技術交流団による訪中以来、同国の水稲多収穫技術は筆者の学問的関心の焦点でもあった。いま冷静に中国の情報を分析すれば、稲作の先端的多収技術において日本は、残念ながら遥かに中国の後塵を拝していると断言せざるを得ないのである。このことを端的に指摘できるのは育種の分野であって、まず高収量品種を育成しておいて、続いてその品質面を改良するという育種の王道を中国の研究者たちは着実に歩んでいる。これに較べてわが国の水稲育種は粘りのある飯の亡霊にとり憑かれて、作りやすい品種の育成に目を塞いでいるかに見受けられるのである。
本小論においては信頼できる学術情報に基づいて、中国の多収穫水稲の実体を作物学の分野から詳しく論議したつもりである。人民革命達成から人民公社方式の農業が主流を占めた時代の中国では、世界記録的な水稲単収が報告されたにもかかわらず学術的にそれを解析できる情報は入手できなかった。生産システムを計画経済から市場経済方式に転換して、世界に門戸を開放した現在では学術成果も世界に開放されている。この度の調査で貴重な水稲多収穫事例の解析データを入手できた。
一方、京都大学農学部の天野高久教授は以前より中国の多収穫に注目して江蘇省で栽培試験を行い、同時に日本品種水稲の生産性も調査された。また、超多収穫が報ぜられた雲南省においても栽培試験を実施して記録的な単収をあげた。その付近で偶然にも福建農業大学の楊博士は学位論文作成のための栽培試験を行い、その結果に詳細な解析を加えた。これらの成果は、筆者が早い時期より主張してきた水稲の多収穫理論[「イネの科学」、(1970)、農文協出版]、[「イナ作多収穫論」(1976)農業技術体系作物編2、農文協出版]での所説を裏付ける資料でもあるので、その大要を本論に収録して要点を論議した。文献の提供とその引用を快諾された天野高久氏にここで深甚な謝意を表しておきたい。
この学術調査班に参加させていただいて、我々の主食とするジャポニカ型水稲の作物学的本質を、根本的に見直す機会を持つことができたのはまことに幸せであった。同時に、主食としての米生産の在り方とその技術について深く反省させられたのも事実である。国際化の時代とはいえ食糧の安定確保は、国家存立の基盤であることには変わりはない。現在の銘柄米に代表される良食味とは我々にとって一体何であろうか?コシヒカリに代表される「食味はよいが、作りにくい品種」は、すでにそれ自体が食糧の安定確保という面では欠陥品種ではなかろうか、という疑問を抱くに至った。さらに言えば、増え続ける人口に対応した食糧生産の拡大は人類に課せられた必須条件であって、いかなる国においてもこれを避けて通ることは許されないのではあるまいか。限りある農地であるが故に土地生産性の向上は、なんとしても実現していかなければならないのである。
稲作展開の方向はそうであるとしても、わが国の現実としてコシヒカリ、ササニシキ、あきたこまち、などの食味を歌い文句とした銘柄米の生産に全力投球をしている。こうした粘り気の多い炊飯の志向に応えても、なお国民一人あたりの米消費量は減少の一途をたどっている。一方では、健康食、長寿食として米を中心に据えた食事体系は見直されている。新世紀の冒頭にあたって、わが国の米生産の在り方を国際的な視野から根本的に検討しておくのも決して徒労ではなかろう。
2、ジャポニカ米再考−特に中国を舞台として−
a.低温に強いジャポニカ
流通面での国際的な米の基準として長粒(long grain)、中粒(medium grain)、短粒(short grain)が使われ、さらにこの分類のそれぞれに細長い(slender )丸い(round)という特徴説明が付されている場合もある。一方、栽培イネは作物学的にジャポニカ、ジャバニカ、インディカの分類が通用している(写真1)。これらを植物学的にみるとアジア起源の野生種より進化したオリザ・サチバのうちの生態種群である。ほかにアフリカ起源の野生種より出たグラベリマという栽培種もある(第1図)。しかし、世界的に見ればグラベリマの栽培面積は僅少である。
さらにイネは栽培面より水田でつくられる水稲と畑状態で育つ陸稲に区別されるが、両者の境界線はあいまいで、おおむね陸稲も水を常時たたえた条件下でも何ら差し支えなく生育する。これはイネが水田状態に置かれると、その根の皮層細胞組織が崩壊して空隙(破生間隙、第2図左上図)ができ、この空隙が茎の基部から根の先端部までつながる。そして、地上部の営む光合成で発生した酸素はここを通って根に送られる(第2図右図)。こうした通気系によって酸素が地上部から供給されるために根は円滑に呼吸することができるので、根部が空気を遮断された水びたしの条件でもイネは湿害によって枯死しないのである。しかしながら、かんがい水を長期間に渡って過度に深くすると根は枯死してしまう。この深水に耐える程度はジャポニカとインディカとでは異なり、後者のほうが深水によく耐えることを観察した。
我々に縁の深いのは野生種アジア型ペレニス起源のサチバから出た三生態種、すなわちインディカ、ジャバニカ、そしてジャポニカである。この名称は、相互に交配したときに高い稔性を示す近縁グループに名づけられたもので、それぞれのグループに属する水稲の特徴を示せば第1表のとおりである。ジャバニカは、インドネシア、フィリッピン、イタリアなどで栽培され、米粒が大きくて厚みがあるのを特徴とするが、作物的形質はインディカとジャポニカとの中間的である。最も対照的な形質を持つのは、インディカとジャポニカであるがその起源地には諸説があり、今後の研究が期待されている。
ところで第1表中にフェノール反応とあるのは、小麦の種子でフェノールに着色反応を示すものがあることをドイツの学者が発見した。これを稲に応用して、籾を1%フェノール液につけた後に、乾燥してその着色反応を調べると、ジャポニカとジャバニカは無着色だが、インディカのみが着色する。
第1表にあげた生理的特徴のうち稲の分布を決める上で最も大きな意味を持つのは低温抵抗性である。一口に低温抵抗性といっても、この内容はいくつかの要素によって構成されている。その要素を列挙すると次の通りである。イ、夏の短い高緯度地方で短期間に成長を完了させることができる。ロ、低地温、低水温条件下でも生長(分げつを発生)することができる。ハ、低温下でも授粉・受精が支障なく行うことができる。最後のハ、については三生態種間での差異は少ない。いずれも頴花分化期と花粉母細胞の減数分裂期に17℃以下の低温に4時間以上遭遇すると奇形穂や不稔現象が発生する。
低温地域向けの水稲として大切な資格は、日平均気温13〜14℃の時期に田植えして、秋の最低気温が10℃を割るまでに収穫ができることである。つまり、早稲(わせ)種が生育期間の短い寒地に適する。しかし、第2表の通り早稲ほど主茎葉数が少ないので、分げつを発生させる節数が少なく、収量に最も強く関与する穂数が不足して低収となる。したがって、寒地でも増収のために中稲(なかて)・晩稲(おくて)を導入するのだが、これによってしばしば冷害の大被害を蒙るのである。
第2表にあるとおりに、すべての稲は理論的には1茎あたりの総分げつ数は多いのであるが、実際可能成穂数(同表最終項目)は極端に少ない。上記した低水温条件で分げつを発生させ、それがよく成長する−つまりロに該当する−品種であれば、早稲であっても収量は多くなる。早稲種の利用で見落とすことができないのは、水田多毛作の一環に組み込む場合とか、水稲二期作に導入する場合である。
さて、言うまでもなく日本品種はジャポニカであって、日本型とも表記される。また、インディカはインド型、ジャバニカはジャワ型と表記されるので、これらに冠した三地域の地名が強く意識されるが、日本のジャポニカは中国大陸で栽培されている粳(コウ)と高い花粉親和性を示すことから、その一分流が日本列島に到達したとする考え方が有力である。中国におけるジャポニカの作物学的パーフォーマンスを点検することによって、日本品種水稲の特性をより明瞭に捉えることができると考えられる。本小論ではなるべく多くの中国研究者のデータを利用し、その解説のなかで日本水稲と比較することとした。
中国ではジャポニカ、インディカの名称が提唱される以前より前者をコウ(粳)後者をセン( )と呼んできた。しかしここでは漢字表現の混乱をさけるためにセンをインディカ、コウをジャポニカと表現した。この点につき予めご了解をお願いしておきたい。
中国大陸においてジャポニカ(コウ)とインディカ(セン)の主舞台の分かつ線はおおむね淮河と秦嶺と考えられ、ここを境に以北はジャポニカが優占する。一方、インディカは長江以南において優占する。淮河と長江との中間地域は両者の混交地帯である。このことを念頭において以下淮河以北の資料を検討する。
もちろん水稲作は、用水と気温に恵まれた地域でなければ成り立たない。稲作に要する水量(=要水量)は、水稲群落からの蒸散量(第3表では蒸騰量)と田面水蒸発量の和である蒸発散量(第3表では騰発量)に水田の地下浸透水量(第3表では滲漏量)を加えた総量である。第3表で長江以南(インディカ)と淮河以北(ジャポニカ)の日平均騰発量(日均)は以南4.11〜4.94mm/day、以北5.74mm(1day)となっており、ジャポニカ地域のほうが多い。これは大陸内部の夏季高温・低湿度という条件が飽差を引き下げたと考えられる。全般的には水稲群落の蒸発散量としては日本の場合と同様の範囲である。
注目すべきは淮河以北では滲漏量が7.82mm/dayと以南よりも各段に多い。淮河以南での水田は平坦沖積地に多く分布しているために、用水の地下浸透は少なく日平均で1.18〜1.60mmとなっている。このような水田ではジャポニカは根腐されが起こりやすく、このために低収となる場合が多い。したがって、水田の基盤改良に当たっては排水条件を整えることが大課題となる。江蘇省、浙江省、福建省等の沿海部では低湿地水田の基盤改良が進み、第3図に掲げた様なかんがい・排水システムが整備されている。これは人民公社時代の貴重な遺産だと推察された。
水稲は、作物として他に類を見ない優れた特徴を備えている。それは数百年に亘って連作が可能だという点である。また、温度と用水に恵まれれば一年二期作・三期作も可能だ。第4図の通り二期作は長江以南の地方に多い。この地域はインディカ優占の土地であるが、冷涼な季節には巧みにインディカにジャポニカを組み合わせて、その低温抵抗性を活用して安定した二期作を行っている。水田の高度利用だけではなく、小規模の農地から可能な限り多くの食糧を生産しようとする工夫には学ぶべき事柄が多い。
第4図左下部にある図例のように中国の稲作は地方・地形と水田利用の形態から6大地域に区分がなされており、さらに各区分が中小地形と品種の早晩性によって2〜3区に分類されている。それぞれの小区分に対応する水田利用の概要とインディカ、ジャポニカの安全播種期、安全出穂期(抽穂期)および主要品種の類型を第4表(1,2)に示した。
これで分かるとおり、インディカは華南・華中から西蔵高原にかけての区分(I〜III)にあるが、ジャポニカは中国全土にわたって分布している。ジャポニカ、インディカ共存地区で両者の安全播種期と安全出穂期を比較すると、ジャポニカは播種において10日早く、出穂において10日遅くとも安全である。つまり、明らかにジャポニカは低温抵抗性が高いことが指摘できる。早く播種できるということは、比較的低水温条件で田植えしても分げつを発生することができ、穂数を多く確保できるので収量が多い。一方、出穂が遅くとも秋の冷涼な気候のもとで登熟を完了できるという特性は、葉の光合成能力の保持と関係がある。インディカは秋の低温に遭うと葉の葉緑素が分解するため急速に葉の黄化が進む。他方、玄米の肥大を支える胚乳での澱粉合成は、両者共に10℃で停止するという点では変わりはないようだ。
現代の中国における農業の基本路線は、かっての毛沢東主席の言葉にある「粮を以って綱と為す」が継承・遵守されているように見受けられる。第4表の水田種植制度(水田利用体系)から窺えるのは、寒冷な東北地方は別として、作物が育つ気候の下では寸時たりとも農地を休耕しないという姿勢である。水稲二期作地帯の中国南部では家畜の餌として米利用が増加したそうだ。浙江省ではアヒルや鶏の飼育が多いので米の30%位は餌に転用されているのではないか、という稲研究者の話であった。
b.中国水稲:粳(ジャポニカ)の食味を巡って
第4表でみたようにジャポニカ(粳)は中国全土で栽培が可能である。だが、長江以南ではインディカ栽培が主流であるのなぜだろうか?これまでに出会った中国の人には「センとコウとのご飯では、どちらの味がお好きですか。」という質問を筆者はしばしば投げかけてきた。回答を平均すれば、「南の人は大体がセン(インディカ)の味が好きでしょうが、北の人はその人の好みによりますね」といったところだろう。ただ、日本に来ている留学生だと、「日本のご飯は、中国よりもおいしいですね。」と言う人が多い。たぶんにお世辞も混じっていると思うが、日本料理には日本品種米が合うと考えてもさしつかえなかろう。同様に中華料理にはセン(インディカ)が適する。
過去30年間に筆者は、世界各地のインディカ米を食べてきた。そのうちで一番おいしかったと思うのは、イランのカスピ海沿岸でとれた高級米の白飯である。これを皿に盛り、中心にバターの塊をおいて、周辺に串焼き羊肉と焼きトマトを並べて、ご飯と混ぜ合わせて食べるという素朴な料理であるが、トマトを押しつぶして汁気を出してバターと共に飯にまぶすと実にうまい。
一度に食べる米飯の量からみれば、インドの農村で食べたバナナの葉に山盛りされた飯が最高だろう。カレーの野菜煮を葉の片隅において、これと飯とを右手の指で混ぜ合わせて口に運ぶといくらでも食べられる。このベジタリアン料理には精神の満足があった。
米の調理法で目を見張ったのは、中央アジア天山北路シルクロードにあるキルギスの商人宿だ。ここでは竈、釜に借料をはらって男性が料理する。まず、白米を2時間程度水に漬けて、それをザルに打ち上げて水を切る。この米は天山山脈の雪解け水で灌漑されたジャポニカで、最高級にランクされるのは赤米である。もちろん、精米されているので赤い種皮は糠として取り去られ、米飯の色はピンクで味は粘りが少なく中国のセン(インディカ)に近い。平たい大鍋のなかに5センチほどの厚さに米を広げ、ニンニクの塊と角切り羊肉を埋める。そして、ヒマワリ油(菜種油も使う)を米が隠れるほど注いで、蓋をしないで煮詰めていく。やがて加熱された米粒は油をたっぷり吸収して、ふっくらと膨らむと「ピラフ」の出来上がりである。鍋を釜から下ろして手掴みができるほどに冷えると食べ始める。手のひらで団子にまるめて一口で食するのだが、まるで油の塊だ。長い旅をする隊商の疲れを癒すところの栄養補給にはぴったりの料理である。
このてのピラフ料理のヴァージョンがイタリアやスペインでの米料理となったのではあるまいか。よく油を吸収する米飯、この点では我々の日常食する粘り気の多い飯は失格である。炊飯内部が水分や油分の浸入を拒む飯、つまりお茶漬け飯でもおいしく食べられる米に我々日本人は高い評価を与えるのである。
ぱさぱさのインディカ飯ほど油を加えたチャーハンやカレーのような汁気とよく馴染む。これは米飯組織の硬さと関係がありはしまいか。俗にいう白飯(=plain rice)におかずを添えて、それぞれを独立して食べる方式は、米の食べ方としては少数派のような気がする。インドネシアの農民の昼弁当は、一見してplain rice を食べているようでも、別の容器から汁気たっぷりの野菜のオヒタシを飯の上に置き、汁を含んだ米飯を右手の指先でこねて粘りを出し、その小さな塊を親指の爪の上において他の四本の指で口唇を隠しながら、上品に口内に押し込む。きわめて優雅な食事作法である。いかなる国においても農村にはこうした固有の文化がある。離農して都市に住むと急速に異質の文化の影響が及び、鄙(ひな)振りのマナーの良さを失うようだ。
在日日本人の弁:ついでながら、最近のNHKや民放テレビなどに出演する女性の味見作法はひどい。大口あけて料理を口に放り込み、それを咀嚼しながら「オイヒイーッ」と目を白黒させて絶叫するパターンは、田舎育ちの筆者などにとっては“在日日本人”としての孤独感を深める。人間の品位を高めるのが本当の文化だと思うのだが…。
戦前の日本の田舎では、口に物を入れて食べながら喋ることを固く禁じるのが子供に対する最低の躾であった。農業とその文化を見捨てた「日本」は作法までが変わってしまった。この日本国家の動きに取り残されて、律儀に義憤を抱く人はもはや国籍を有するとはいえ異邦人にひとしい。筆者の定義では、この者を称して在日日本人という。
さて、話を中国の粳(コウ)の食味に戻そう。われわれ日本人が一見日本品種米に似た粒形のコウを食べると、粘りが少ないのでインディカの食味と似ていることに気づく。具体的に言えば中国のコウは粒形からすればジャポニカであるが、じつはアミロース含量がインディカ並に高いのである。本来、中国人はインディカ米(セン)の食味が嗜好に合うと考えると、コウの性格がかなりはっきりしてくる。つまり、飯の食味はインディカでありながら、栽培上の必要から低温地域向け水稲としてやむなく選択したのがコウである。中国の水稲研究者の中には、粳(コウ)をJaponica と呼ばれることに抵抗があり、むしろChinicaと呼ぶべきだと主張する人もいると聞く。注目すべき意見である。
第5表に中国各地域における優良品種を示した。同表で雑交稲とあるのは雑種第一代利用品種である。花粉の授精能力を欠いた雄性不稔稲に適当な花粉親を交配して雑種第一代を作るのであるが、花粉親としてはIR系品種(国際稲研究所、IRRI)を利用した品種が多い。したがってIR系の血が入った雑交稲は、熱帯や温暖な地域で普及率が高い。多収ではあるが一般に食味は良くないと、市場での評判はあまり芳しくない。
第5表の常規稲は通常の水稲であるが、このうち短粒種には粳の字を付してあるので識別に便利である。しかし、短粒種でもセンと交雑して育成した品種には特定の記号はない。稲体は葉の広いインディカだが籾はジャポニカという品種が東北(旧満州)地区には多い。まさにChinicaと呼ぶのがふさわしい品種といえる。
c.粘る米の極点である糯米をなぜ常食しないのか?
日本人にとって粘り気の多い炊飯への執着は異常なほどに強い。コシヒカリ、あきたこまち、などの粘り気の多い米が国内で高い評価を得てからというものは、一段と粘り志向が強まったようだ。米の食味にはいろいろの要素が関与していることは十分に承知しているつもりだ。だが、最も普遍的な日本品種米の特徴を指摘せよといわれると、誰しもまず飯に粘りけが多い点を挙げるだろう。
最も良く粘る米は、そのデンプン組成がアミロペクチン100%、アミロース0%の糯(モチ)米である。アミロース含有率が高まるほど炊飯の粘り気は少なくインディカ独特のぱさぱさした食感となる。それ故に良食味を目標とする場合、玄米の低アミロースをねらって育種あるいは栽培−窒素施肥の抑制―されるのである。それ程粘る飯が恋しいならば、いっそモチ米を召しあがったら、と申したい気もするのだが中々にそうは参らない。
東南アジアの山地にはモチ米を日常的に食している少数民族がいるそうだが、年間一人当たり100キロも食べているのだろうか、不幸にして筆者はその実体を知らない。平均的な日本人ならば、赤飯や餅だけで三度の食事をするとなると三日間が限度ではあるまいか。初日はおいしいかも知れぬが、次の日からは胃にもたれて食べるのが苦しくなるに違いない。本能的に体内でモチ米拒絶反応が起こっているようだ。
もう一つ、モチ米には重大な欠陥がある。それは切傷やおできのあるとき、餅を食べると化膿を促す作用がある。医学的には証明されていないが、これは民間伝承としで各地で語り継がれており、その事実を筆者は自らも体験したことがある。
中国の米食の歴史はわが国よりも遥かに古い。その国土の南方暖地でも粳が栽培することができるのに、あえてインディカ種を選んだ。さらに北方稲作の粳においてもインディカの食味にこだわった。この意味は積極的に研究するに値するだろう。かりに、我々東アジア住民は、アミロペクチンを厭う生理があるとするならば、良食味品種としての低アミロース米の流行は根本的に検討を要する。日本人の米の消費量が年を追って減少しているが、これは我々の生理がアミロペクチンを忌避しているのだとの仮説を提唱したい。
3、日本品種水稲の海外適用−アメリカ合衆国での栽培を巡って−
すでに触れたとおり日本人が海外で生活したとき、必ずと言ってよいほど粘る白飯への郷愁を抱く。戦前の台湾では高温地域に適した蓬莱米の開発、短い夏の旧満州では東北・北海道品種の導入、カリフォルニアでは短粒米の開発、などが行われてきたことは周知の事実である。しかしながら、戦前においては内地と同程度の粘る白飯を海外在住の日本人に提供するまでには至らなかった。
ところが、1990年代にわが国が米穀市場を海外に開放した時点で、日本市場を意識したコシヒカリ、あきたこまち、などの銘柄米がアメリカ合衆国で栽培されるようになった。また、中国でも意欲的に粘る米の育種がなされて日本市場の動向を窺っている。中国東北地区の北緯45度以北においても、北海道品種の遺伝子を導入した水稲品種の栽培面積が急速な増加をみせている。
筆者は、この「ジャポニカ米・国際学術調査研究報告会」で海外でのジャポニカ米の生産状況を栽培面から紹介してきた。とくに日本品種水稲の栽培状況は、エジプト(第6回1997年)、USA(第7回1998年)、ベトナム(第8回、1999年)とそれぞれの印刷資料に基づいて報告してきた。
本章では既報告の中から日本品種の海外進出を阻んだ要因を抽出して新たな見解を展開してみたい。そして、更にカリホルニア州での“あきたこまち”の栽培実態と農薬使用に関する情報を紹介して作物栽培技術の基本について若干の考察を試みたい。
a.海外適用を阻んだ要因とその克服
イ、[低緯度高温地域:台湾の場合]
不時出穂の克服:感温・感光性の改良と若苗の利用
蓬莱種が栽培されていた当時の台湾の水田では稲作が年2度行われており、台中を例にとれば第1期作(田植2月下旬〜収穫6月上旬)、第2期作(田植7月下旬〜収穫10月下旬)で、これをはさんで畑作物の裏作がなされていた。当初、日本内地の米価格に刺激されて、北部山地で栽培されていた日本品種を平地におろして栽培を試みたが結果は良くなかった。そこで日本内地品種を導入したところ、苗の老化が現地品種よりも早く、苗代期間50日の間に穂が出てしまうという現象を呈した。わずかに良好な成績を上げた四国の品種、中村は苗代期間(50日程度)において老化の進みが遅い(C/N比を低く保つ、第5図参照)ということが分かった。
第6表中の記述のように日本品種の大部分は感光性、感温性ともに高いという特性を持っていた。東北、北海道の品種は感光性が最鈍感で感温性は極めて高い。台湾に適する品種は第5表に挙げたように、1期作は感温性、感光性共に鈍でなければならず、第2期作においては感光性、感温性ともに保有しながらもその程度の低いものでなければならないのである。日本種と在来種との交配を繰り返して、結局は第6表分類Vの蓬莱種、すなわち感光性を低く保持する一方、感温性を鈍化させたジャポニカ品種群種を作出した。この結果、台湾の米生産量は飛躍的に増大して内地市場への輸出余力を得たのである。(第5図、第6〜8表は、磯 永吉(1964)蓬莱米談話、山口農試特別研究報告No16:1−89、より引用)。
こうした育種と並んで大きな功績を上げたのは第2期作の苗代日数を現地慣行の2分の1以下に切り詰めたことである(第8表)。夏至の長日条件を過ぎた直後に播種して、苗代期間に短日が進むという条件は、感光性を保持する品種ならば苗代で花芽分化を促して、本田に移植されるや間もなく出穂することとなる。こうなると、分げつが出ないので収量を強く支配するところの穂数の確保が少なくて低収となるのである。
基本的には水稲は短日植物であるが、育種操作による感光性の低下は可能である。そうすれば感温性だけが表面化して高温時には早く収穫できるが、穂数不足で低収となる。
反対に、低温時にはいつまで経っても穂が出ないで冬を迎えることとなる。この点、コシヒカリは感光、感温の両特性をバランス良く備えているので非常に広い適応性を持つ。しかし、フィリッピン、ネグロス島の海抜700m地点でのコシヒカリ栽培によれば、15日苗では満足に出穂するが、17日苗だと本田での不時出穂を見るということだ。
ロ、[高緯度低温地域:中国東北地区]
早稲低収則との対決:加温太苗と穂数確保の工夫
高緯度地域では熱帯作物である水稲にとってはの生育可能期間が短い。そのために寒冷地では感温性の高い早稲品種が選ばれる。すでに第2表で見たとおりに、早稲は主茎葉数(節数)が少ないので分げつを発生する節が少なく、穂数不足で低収である。たとえ出穂期が遅くとも穂数が多くて、収量の多い中生稲や晩生稲を植えたいのが農家の心情である。だが、秋冷の早い年には出穂の遅い品種は大冷害を受ける。東北や北海道の稲作が安定したのは保温苗代の普及に多大の恩恵を蒙っている。ことさら危険な晩生種を使わなくとも、次の理論によって早稲種でも多収穫ができるのである。
W= S.exp .rt W:時間tにおける植物個体の重さ、g/plant
S:種子または苗の重さ、g/seed or plant
r:個体の成長率、g/g/day
上の式は、一見してわかるとおり銀行預金の複利式である。高等植物の初期成長にはこの式で示される複利法則が適用する。水稲の場合、少なくとも田植後1ヶ月間はうまく上式が適合する。預金利子に相当する個体成長率(r)の最高値は、適温を与えると1日当たり最高20%にも達するが、田植(播種)直後は低温のために引き下げられている。そこで、たとえば田植後20日間の成長を促そうと思えば大きな苗(S)を使えば良い。つまり、利子が低くとも大きな元本を預金すると多額の利子がついて元本と利子の合計値(成長量)が多くなるという謂れである。
東北、北海道の稲作は早稲種を用いながらも、保温苗代で大きな苗を育てて、水稲が成長可能な外気温度(約14℃)となったときに苗を本田に植える。このとき穂数をたやすく確保するために暖地よりも栽植密度を高めておく。このやり方で一挙に早稲低収則を打破したのである。保温苗代が普及した当時、青森県の単収が日本一となったほど効果は顕著であった。この陰にはそれぞれの立地に適した水温を高める工夫−成長率rを高める−が意欲的になされてきた事実を銘記すべきである。
近年の中国東北地区における寒冷地稲作の安定化と増収の陰には、日本人ボランティアたちによって保温育苗方式の栽培技術が移転された功績によるといわれている。また、保温育苗技術の移転を可能としたのは、保温資材であるプラスチック・フィルムが普及したことと市場経済に刺激された農民における生産意欲の高揚である。
ここで寒冷地稲作における大苗の効果を強調したが、単に大きいだけで老化した苗でも良いというのではない。苗の主茎が分げつ発生の可能な若い節を数多く保有すること(注:C/N比かがここに関係する)、そして、発生した分げつが大きく育つこと、という二つの条件を満たさなくてはならない。
早い時期から分げつの発生を促すという点からみれば、苗の移植よりも直播が優れている。直播きの場合は、参考図Fig. Bに示したように第1分げつは、第2葉(第1完全葉)の着生節から発生する。7枚の葉を持つ成苗だと、苗代で発生した第1分げつなどは移植操作で枯死し、田植後第8葉が出るとき第5葉の着生節から発生する分げつが有効分げつ(穂を持つ茎)となる。このようなわけで、温度に恵まれた熱帯地方では感光性を低めた品種の直播が穂数の確保は容易である。ところが、水稲の移植栽培は土地利用の高度化のほかに強力な雑草対策をともなっていた。しかし、除草剤の普及によって雑草防除が省力化できたこともあって、熱帯での水稲栽培は直播きへの移行を加速させている。この一方で、除草剤による環境破壊が深く進行している事実を指摘しておきたい。
ハ、[基本課題としての籾数の確保]
水稲の収量は普通次式に示した四つの構成要素の積によって求められる。
水稲収量=@面積当たり穂数×A1穂当たり籾数×B1粒重(mg)×C登熟歩合(%)
一般に収量と最も高い相関を持つのは@の穂数で、それぞれの穂が立派に成長するとAの1穂あたりの籾数が多くなる。この@とAの積(面積当たり籾数)で最大収量の大枠が決定する。したがって多収穫の基本課題は単位面積当たりで多くの籾数を確保することである。海外で栽培している日本品種水稲を観察すると、この基本課題がクリアーされていない場合がほとんどであると言って差し支えない。
わが国での多収穫事例の数値を具体的に挙げると、単位面積当たり籾数を4万個/u
確保して、この80%(=登熟歩合)に粒重22mgの玄米が実ったとすれば、それらの積は704g/u(=704s/10a)である。ふつうコシヒカリでこれだけの単収を上げるのは稀である。その理由は、第6図のようにわが国では登熟期間に曇天が多くて平均日射量が少ないからだと説明されている。同図の実線で示したエジプトのように日射が多ければ籾数と収量は、籾数7万粒くらいまでは直線的に比例的関係が成立すると田中孝幸氏は指摘しておられる。
それでは、籾数が7万粒にも達したときには日射量が多くなけば多収穫への道は閉ざされているのか、という問題が浮上するのであるが、これについては後段で述べる「ジャポニカの最高収量−中国での到達点−」で改めて論議を起こしたい。
東南アジアにおいて農家段階でのインディカ種の籾収量は6〜7t/ha程度で良いほうであろう。筆者の観察によれば、これらほとんどの場合「基本課題としての籾数の確保」が果たされていないようだ。水稲の籾数は、移植(播種)から幼穂形成期(頴花分化完了期)までに決定される。この期間の気温や施肥量によって籾数の母体となる穂数が左右されるが、有効分げつ発生期間の長短がより重要な決定要因である。
ジャポニカ、インディカを問わず、現在の実用品種での登熟期間は35〜45日、穂ばらみ期間(穂首分化〜出穂)は約30日とみてよかろう。したがって、品種特性としての全生育期間を決定するのは移植(播種)から幼穂形成までの長さである。いまインディカ種での生育日数(growth duration)と収量との関係を検討した試験結果をみると第7図のとおりで、タイでもフィリッピンでも120日付近にピークを持つ単調曲線が得られている。120日より70日(=穂ばらみ期間+登熟期間)を差し引くと50日が穂数を獲得した期間となる。この50日程度の分げつ発生期間が確保できない場合、通常は穂数不足となって減収をきたすのである。分げつの発生期間を延長させるために早植えという方法が考えられる。当然、生育期間は延長するのだが、それは増収には結びつかないことが第7図よりいえる。同図中、130日以上の生育期間で増収しない原因として三つの場合が想定できる。第一は、籾数が多くなりすぎて、登熟歩合が低下した場合である。第二は、分げつが発生しすぎて、株内での分げつ間の競争のために無効分げつが増えたり、あるいは茎が小さくなって一穂の籾数が減った。第三は、初期生育の停滞(チッソ不足、低温、除草剤の薬害)により分げつの発生する節位が減少して穂数が少なくなった場合である。
[注記:ふつう水稲の分げつは参考図Fig.AのA葉と主茎の間から出はじめる。これを拡大したのがFig.Bである。苗が老化するとA、B、C葉から分げつは発生しないで、第一分げつ(first tiller)の発生はD葉節、E葉節へとくり上がっていく。]
第9表は、エジプトでのジャポニカ種の試験結果である。在来種GIZA172、GIZA173
(レイホウ)、アキヒカリいずれも5月30日植えは非常に高収量を上げているが、これより15日早く植えた5月15日植えは穂数と1穂当たり籾数が減り、この二つの積である面積当たり籾数が減少したので、期待したほどの多収穫はできなかったのである。しかし、レイホウ、アキヒカリという日本品種が海外で10トン以上の籾収量を上げてことは注目に値する。さらに、日本晴となると14トンという驚異的な多収を上げている。この場合、平方メートル当たり871本の桁外れに多い穂数であるので、最大葉面積指数は10〜12に達したと推定される。豊富な日射量が実現した超多収穫と考えられるが、日本品種の生産性を十分に発揮させるためには、まず穂数確保が重要であることを認識させる結果である。
b.カリフォルニア州における‘あきたこまち’栽培
カリフォルニア州は、全米で米生産の歴史が最も古く、かつ単収も最高にランクされているが、生産額の上では20%内外である。1998年の総籾生産額は約850万トンで、その粒型別生産比率は中粒種が92.6%で大部分を占め、短粒種5.8%、長粒種1.6%である。ここで問題とする日本品種の栽培面積は1998年において“あきたこまち”6,350ha、“コシヒカリ”3,839haである。
カリフォルニア州の単収はFig. 8 & Table 10のごとく、ここ20年間に目覚しい伸びをみせている。それは中粒種の優秀品種の開発と、栽培方法の改良に負うところが多い。
1999年での日本品種の平均単収は5.61t籾/haであるのに比して、中粒種の主力品種であるCalroseのそれは8.9.5t/haである。この単収差をカバーして作付けされているのは、日本品種が高価格で輸出されるからだ。しかし、6トン/ha(玄米単収480s/10a)を確実に収穫しなければ生産農家にとってうまみは少ないといわれている。
州における水稲の主栽培地域はサクラメント市より州北のチコ市付近に至る平野部である。本項では栽培の北限に近いチコ市周辺での“あきたこまち”栽培を紹介することとする。
[寒冷地チコでの“あきたこまち”の生産]
チコ市の平均気温は、5月から9月までは新潟市とほとんど等しい。だが、同期間の最高気温は鹿児島市よりも若干ながら高い。一方、8月の最低気温は秋田市よりも6℃ばかり低いのである。したがって、7〜10月における昼夜気温の較差は実に20℃近くを維持するのがこの地域の特徴だ。最低気温の上から登熟が停止する10℃の出現時を求めると、チコ市は9月中旬で秋田市よりやや早い。つまり、登熟期間よりみて寒冷地向きの品種を選ばねばならぬが、7、8月の盛夏に当たる時期にもしばしば寒気団の襲来を受けることがある。このため、障害型冷害対策にも注意を払わねばならない。
灌漑水はシェラネバダ山系より流出する冷たい雪解け水を、山麓にある広大な温水池としての機能を持つ人工湖に貯えて常に水温上昇を図る。この人工湖のお陰で稲作が安定しているようだ。
チコ市近辺では4月下旬から5月半ばにかけて、水深20〜25cmの水田へ小型飛行機から播種を行う。その後、水の蒸発による自然減にまかせておきながら発芽をまつ。
約2週間で出芽し、第5葉が出るときに第2葉の葉鞘から第1分げつが先端を出してくる。ふつう1個体に2〜5本の分げつをもつ。Fig. 9,10に播種から分げつ期間の気温と水温の変化を示した。気温の変動は5月下旬で15℃から28℃であるのに対して水温の方は同時期で16℃から36℃となっている。カリフォルニア州の豊かな日射量が水温を暖めると同時に、その水温が稲体に接する温度の日変化を緩やかにして稲を寒気から護っているのである。
さて、稲の生産組合(ARMCO)は、日本品種導入にあたって“コシヒカリ”と“あきたこまち”の比較試験を1996年と97年に行っている。その結果によると播種から穂揃期までの日数は、コシヒカリ99日と103日、あきたこまち82日と83日で後者の方が登熟可能期間の幅が広い。さらに、コシヒカリはチッソ分施法の如何にかかわらず倒伏したが、“あきたこまち”は元肥窒素を減らして幼穂形成期追肥に分施すると倒れにくいということが判明した。この結果に基づいてチコ市周辺の農家は“あきたこまち”生産へ踏み切ったと推察される。
1999年に当地を訪問したときは、収穫直後の時期であった。籾貯蔵の様子は詳しく観察できたが、肝心の水稲の生育状態については刈り株や落穂、そして土壌の観察に加えて、生産者からの聞き取り調査から推定した。
全般に言えるのは、単位面積当たりの穂数が平均350本/uと少ないことである。そして、平均1穂籾数も75粒と少ない。両者の積である単位面積当たり籾数は26250個/uとなり、登熟歩合80%、粒重22mgと推定すれば単収は462s/10aとなる。この推定収量は生産者の実収量の水準と合致したので意を強くした次第である。
日本品種のあきたこまちやコシヒカリをアメリカで栽培したとき、必ず経験するのは倒伏である。アーカンソウ州と同様にこの州でも日本品種銘柄米は、倒伏するのが当たり前との認識を持っていた。
穂数と1穂籾数は圃場調査から得た実数であって、この二つの収量構成要素が低い値をとる原因の解明を当面の問題としなければならないと考えた。そこから次のステップとして二要素を高める方策の提案が期待されているわけである。各農場の現場担当者より栽培法の詳細を聞き取り、その情報と筆者の過去のアーカンソウ州での経験とを総合して以下の推論を導いた。
穂数の少ない原因:低水温による分げつ抑制、あるいは除草剤の薬害による初期生育の抑制が考えられる。水温測定データ−と生育初期の観察で薬害を確かめる必要がある。
一穂籾数の少ない原因:チッソは元肥あるいは分げつ肥しか与えていない。籾数を増やす効果のある穂肥えを与えないのは、穂肥えが過度になると登熟期に稲体のチッソ濃度が高まり、玄米の蛋白含量が高くなって食味が低下する、という理由れである。高品質米の収穫を目指した窒素の制限が籾数を減らし、さらには収量にまで悪影響を及ぼしていると考えられた。穂肥施用の可否については、葉色、葉緑素含量あるいは葉身チッソ濃度の測定結果によらなければならないので、その結果をまって判断することとした。
倒伏の原因:単収が500キロ台以下で起こる倒伏は、病虫害を除けばまず根腐れによるものとみなしてよい。この対策として分げつ終期の中干しと穂ばらみ期における間断灌漑の採用である。
上述した事項を踏まえて、第11図で示した2000年における“あきたこまち”の栽培ごよみが作られた。強調したのは中干しと穂ばらみ期における間断灌漑の実行であった。ただし、穂ばらみ期に冷気団の襲来があったときには、躊躇なく第11図の水管理に従って水温で以って幼穂を保護するよう申し添えておいた。
上の推論と提案の当否を確かめるために、翌2000年にチコ市へ調査におもむいた。“あきたこまち”の生育概況は次の調査報告書に要約したとおりである。通覧していただくならば水稲栽培の技術レベルもこれから凡その推察がつくであろう。
c.アメリカでの日本品種水稲―中干しの効果と除草剤の薬害−
[中干しの効果]
日本品種水稲を海外のインディカ地帯で栽培したときに、まず直面するのは倒伏問題である。大規模農場でのインディカ栽培は、雑草抑制の意味もあって常時10インチ(25cm)灌漑がふつうである。手取り除草が困難である大規模稲作での唯一の除草法が深水灌漑であった。新旧大陸にかかわらず、大平原に造成された粘土質水田土壌は、かんがい水の地下浸透量はほとんどゼロに近い。こんな水田でも現在のインディカ種は、倒伏することなく直立状態で収穫を迎える。
アーカンソウ州のコシヒカリ栽培に5年間にわたって関わり、倒伏防止を課題としてきた経験から得た結論は次のとおりである。日本品種水稲は例外なく深水による土壌の還元状態で根腐れを起こす。とくに、直播きされた日本品種水稲は、根腐れのために地上部の支持力を失って倒伏する。根腐れを誘発する土壌の還元状態は、水田表層にある稲ワラなど前作物の圃場残滓が湛水条件下で急激に嫌気的分解を起こすことにより招来される
根腐れ防止対策は、深水灌漑を廃止して、分げつ盛期から中干しを施し、穂ばらみ期には間断灌漑を行うことである。カリフォルニアでの“あきたこまち”栽培でもこの方法は顕著な効果があった。
カリフォルニア州でのイネ育種の歴史を見ると、1950年代半ばまでは草丈が高くて倒伏に悩まされたそうである。その後、草丈が低くて茎の丈夫な品種を育成したので、倒伏問題が解決されたのである。倒伏抵抗性を強化するには、稈長を短くするのがよいと受け止められているが、直播き栽培では地際の節から発生する根が太くて、それが長期間生存して、力強く茎を支持するから倒れない。現代のアメリカにおける長粒、中粒種水稲はこのように改良されたからこそ、飛躍的に収量水準が向上したのである。
わが国では多収穫水田の資格として、かんがい水の地下浸透量は1日20mm程度が必要とされている。また、段差のある小区画水田では、畦畔(あぜ)からの漏水が多くて田に水を溜め続けるのに苦労する。小さな水田に苗を移植して、手で草を取るのが、わが国の伝統的稲作である。この稲作には深水条件の必然性がない。移植栽培では、田植のときに苗の根元が3cmほど土中にささるので、自然と稲株は土に支えられて倒れにくくなっている。この原理は機械田植機にも継承されているので、倒伏抵抗性の要素としては、根の支持力よりも地際部での茎の曲げに対する抵抗力を重視すれば良かった。
収量向上を阻む壁としての倒伏問題、この突破口を開く際に根の支持力に頼らざるを得なかった直播き栽培が、新たな性格を持った品種をアメリカにおいて開発させたのだ。
水稲栽培の起源として直播き栽培と移植栽培とどちらが先であるか、という論議はしばしば起こる。この問題は多くの要素が複雑にからみあっているので、統一的な結論を得ることは困難である。ただ、イネの生態学的特性として陸稲と浮稲は、灌漑水への反応の面ではの両極点に置くことができるが、両者ともに直播きが一般的である。農地の水田化が進んだ段階では、雨季待ちの天水栽培であれば少量の水で苗を育ててから、確実に降雨が期待できる時期に本田へ移植するのが合理的であろう。最も普遍的に使用されている水稲は、かんがい水に関して系列化すると、オカボ(陸稲)とウキイネ(浮稲)の中間に位置してミズイネ(水稲)といった性格を与えられていると考えられる。
そして、灌漑水の深さに順応する根の性質として、ミズイネの中にはよりオカボに近いイネ(Japonica)、よりウキイネに近いイネ(Indica)が下のように連続して分布していると理解したい。
間断灌漑=オカボ=ミズイネ−(浅水常時かんがい)−ミズイネ=ウキイネ=洪水深水
深水栽培に適さない日本品種水稲は、オカボに近い根の特性を持つので、間断灌漑の効果が高いのではあるまいか。一方、カリフォルニアの中粒種(インディカ)のように、10インチもの常時深水かんがいに耐えることのできるイネは、ウキイネの根の特性をもつミズイネである。同じミズイネとはいえ、その根が所有する土壌還元への耐性遺伝子に相違があると理解しなければならぬ。その表現形質は根の分岐性にあるように思える。日本品種は好適した土壌環境のもとでは登熟期においても分岐する特性がある。インディカではこれがないようであるが、実験で確かめていただきたい。
[除草剤の薬害]
カリフォルニア州は太陽の輝く晴れ渡った青空と心地よい乾燥した空気で有名である。湿潤熱帯の高温多湿な気候とは対照的な、イネの病原菌の育ちにくい環境であるので目立った病害はほとんどなく、害虫もイネミズゾウムシだけといってよい。水稲の生育期間中に使用する農薬は、除草剤とイネミズゾウムシの防除が主体である(第11図参照)。
アーカンソウ州のコシヒカリ栽培で、穂の小さい一因として除草剤による薬害を確認していたのでカリフォルニアでもこれを疑った。Table 12でChemical damage? としたのは、第3〜4葉が黄化または枯死している場合を表現している。この表で薬害あり、なし、に類別して線で画したところ、Propanil(ヒエ防除)とMCPA(広葉雑草防除)を第3〜4葉展開期に散布した水田にだけ薬害と思われる葉の黄化現象を認めたのである(Table 13)。この二つの薬剤は同時散布しているのであるが、イネ科雑草であるヒエを枯死させるためのPropanilの散布はすべての場合に薬害と思われる黄化現象を認めた。
第3〜4葉期は有効分げつ発生期に相当するので、この時期に薬害による成長阻害があったときは、当然ながら分げつの生長に悪影響を及ぼして穂が小さくなることは十分ありうる現象である。
イネ科雑草であるヒエ(Barnyardgrass)を選択的に殺すところのPropanilは、安価でかつ薬効の高い除草剤として全米の稲作で多用されてきた。ところが、80年代になるとこの除草剤で枯れないヒエのあるということがアーカンソウ州の各地より報告されだしたので、普及機関で調査してみるとPropanil抵抗性のヒエはFig. 12に示した郡に分布していることが明らかとなった。
Propanil抵抗性のヒエを殺す除草剤を探すための試験を実施した結果、いくつかの除草剤が有効であることが分かった(Table 14)。大規模稲作にとって除草剤だけは不可欠の農薬である。わが国で全農薬の使用量が多かった1987年当時で較べても、カリフォルニア州はわが国よりも2.5倍も多い除草剤を使用している。中粒種インディカ水稲が日本品種水稲よりも除草剤に対して相対的に強い抵抗力を有することも関係しているであろうが、多量の除草剤の使用がかえって除草剤抵抗性の雑草を誘発したと考えられる。
似たような例は、籾の貯蔵中に使用する殺虫剤マラチオンに抵抗力をもつ害虫がでてきたことがカリフォルニア州で知られている。農薬抵抗性病虫害と新農薬とのいたちごっこが現代農業技術の泣き所である。
d.日米両稲作における農薬使用について
カリフォルニア州では水稲の病害は皆無に近く、また害虫も少ないので収穫前での農薬使用量の全量はわが国よりもはるかに少ない。しかし、収穫後の農薬使用量となると話は別である。いわゆるポストハーベスト農薬は、日本では害虫の発生の疑いがある非常時以外には禁止されているが、アメリカではこれなしには米の貯蔵、輸送、販売面に多大の支障をきたすので使用が許可されている(Table 16参照)。
カリフォルニア米振興委員会により作成された資料より、日本とカリフォルニアでの水稲における農薬使用状況を転載したのがTable 15である。この表の日本側資料はJapanese Pesticide Guide (1987)より得ている。なお、日本の水稲作付け面積約530万エーカー、カリフォルニア約40万エーカーとしている。この種の資料でしばしば出てくる略語を参考に供するために以下にまとめた。
CDFA::合衆国食糧農業局。CFR:連邦規制コード。DPR:カリフォルニア州農薬
規制局。EPA:合衆国環境保全局。FDA:合衆国食品医薬品局。PAM::農薬分析
マニュアル。PMI:農薬検査情報。
Table 15は、もともとカリフォルニア州の農薬使用量が日本よりも少ないという事実を広報する目的で作られた資料である。病虫害の少ない環境で生産するカリフォルニアで農薬の種類が少ないのは当然である。ここで言いたいのは、農薬の種類の多さもさる事ながら、ほとんどの農薬の許容値が1 ppm(百万分の一)以下だということである。
また、日米両国で許容値にずれのあるのも見逃すことのできぬ点である。消費者の安全面よりも、生産者の使用に便宜を図っての措置と勘ぐれぬこともない。
近年とみに消費者の関心が食品の安全性へ集まりつつある。アメリカでの米に関する農薬の許容値をTable 16(3枚綴り)として掲げておいた。
調査報告書
◎ カリフォルニア州チコ市周辺における“あきたこまち”分げつ期の調査
本調査は、米国カリフォルニア州CHICO市に本拠を有する水稲生産農業協同組合(ARMCO)傘下の農家が栽培する日本品種水稲“あきたこまち”の初期生育に重点を置いて行った。ここでの調査期間は2000年6月21日より同月28日までである。
1、水稲の生育枕況
“あきたこまち”の播種は5月1日から同月22日までの間に行われた。本年は高気温に恵まれて現在までは順調に生育した。ただ、乾田状態で液体アンモニアを深層施肥した水田では、その後の降雨により藻の発生が乾田状態に保たれた田よりも多いことが農家によって観察された。藻の発生の多い田では、水稲の初期生育に支障を来たす恐れがあるために硫酸銅の空中散布を行っていた。しかし、効果は完全ではなかった。
前作の稲藁処理については、従来から慣行の野焼き処理が段階的に禁止されていくため、これに代るものとして藁を籠車輪で田面に押し倒して土と接触させ、その後、水を湛えて腐敗を促す方法が取られている。しかし、半腐熟のものが春先の耕起により土中に混入するのは避け難い。これら土中の有機物の分解過程で発生するガスが、水稲を株元から浮き上がらせて、根系と土との密着状態を悪くするのであるが、今回中干しをうまく実施した水田では稲株が水田土壌にしっかりと固定されていた。
病害、虫害については全く発見できなかった。
2、水田調査の結果概要
調査水田20筆の水稲について特筆すべき事項をまとめた。
a.昨年秋に、ガス抜きとしての中干しの効果を強調しておいた。本年は広範囲に中干しが実施されており、大部分の調査田では根系の状態は良好であった。
b.肥料の効き具合はおおむね良好で、葉緑素計の読みSPADで31以下の水田は、早期の穂肥(出穂30日前)としてチッソ追肥が望まれる。
c.光合成速度と関連の深い気孔開度をエチレングリコールとイソブタノール混合液で調査したところ、根ぐされのため午前中に気孔が閉じるといった現象は認められなかった。表中の気孔開度(Stomata)が1*であるのは乾操・高気温と早朝の低温のせいと考えられる。槻して気孔開度の数値が小さいのは、生育初期のために葉が小型であることによる。根の外見観察と合わせれば、現在のところ根の状態は良好で、十分に水分が地上部に送られていると判断できた。
d.除草剤による葉焼け現象らしき徴候が第3、4葉にみられたので、各水田の農薬使用歴を調べた。
除草剤PropanilおよびMCPA(成分Phenoxy)を散布した水稲に葉焼け現象が認められたのは、今後慎重に検討しなければならない。Indica種とJaponica種で上記除草剤に対する抵抗力違いがあるのかもしれないので、公的研究機関にこの点の究明を依頼するのもよい方法であろう。
3、参断結果
調査表ならびに作成した参考資料に基づいて、ARMUCO幹部並びに裁培農家に対して意見の開陳を行った。その強調点は次の通りである。
(1)現在の“あきたこまち”の収量水準は、他の品種群よりも格段に低い。この原因は、倒伏、単位面積当たり穂数不足、そして穂が小さく着生籾数が少ない点にある。
(2)精米品質を低下させないで増収を図らなければならないが、当面はその第一段階として、無効分げつを少なくして大きな穂の確保を目標とする。
[具体的方法]
#、元肥として三要素を施肥する。
#、中干しの励行と間断かんがいの実行。
#、除草剤の被害を回避すること。(安全な除草剤を選ぶ)。
#、適切な時期に穂肥を与えること。(出穂20日前か、同30日前)
4、配慮を要する事項
a.中干しの時期について。
この目的は、土壌中のガス抜きと無効分げつの抑制であるが、当地ではガス抜きを重点に考えればよい。こまめに水田を歩いて長靴の下から出る気泡の量を観察すること。量が多いときには直ちに水を落とす。固定した時期でなく、あくまでもガス量(音を立ててガスが出る)に注目しなければならない。
b.冷気団の来襲を警戒すること。
当然の措置であるが、気象予報に注意して、冷気団による低温が予想されるときは中干しや間断かんがいを中止し、急いで湛水して水稲を水温で保護する。
c.有効積算気温(57F、14C以上)の利用による出穂期の確定。
本年栽培した播種期の異なる水稲について、播種日を基点として日平均気温(T)より有効限界気温(57F)を差し引き(T−57)、この値を日有効気温として出穂期(50%出穂)まで積算する。そして、この出穂日より 30日さかのぼった日を幼穂形成始期(PI)とし、この時の積算温度(PI到達温度)を求めておく。釆年は、このPI到達温度を利用して穂肥の追肥時期を決定するのが合理的である。
d.実肥えとして穂揃い期(100%出穂)に追肥するのは、米粒のタンパク含量を高めるので、不用意にやると品質低下を招く。慎重を期して欲しい。
実肥えの時期は、水稲の重量増加が減っている時期であるので少し過度に与えても米粒のタンパク含量は敏感に増加・反応する。この点、出穂前20日の穂肥は安全にやれる。
謝辞:本調査に当たりKITOKU AMERICA佐貫 洋氏を始めとして、ARMCO側Mr. Lance Benson,Mr. John Valpey,Gorrill Ranch Mr. Joe Hoganの各位より一方ならぬご援助とご協力を賜りました。ここに謹んで御礼を申し上げます。
4、ジャポニカ型水稲の最高収量―中国での到達点−
a.覆そう環境決定論の常識
科学知識が通俗化した我々の常識は、無意識のうちにも現代科学が立脚する要素論(アトミズム)と機械論(メカニズム)の論理に準拠している場合が多い。早い話が、酸性食品を食べると血液が酸性になる、といった調子の論である。もっとも、現代の医薬品のほとんどは治療のメカニズムを分かりやすい因果関係におきかえて宣伝し、それに関連するアトムの化合物(薬品)を大衆に販売することで巨利を得るのである。私たち大衆にとって怖いのは、判断の基礎となる情報が一方的に偏っていることと、意図的に為にする情報操作が加えらていることである。
資本主義の発展のためには生産の拡大が必須条件であることはわかるが、それと老人福祉とを直結した論調を展開する財界人が多い。また、政治家にしても、わが国は食糧生産において自給の達成は困難であるので、工業生産を拡大して輸出で外貨を稼ぎ、食糧は輸入に頼らざるを得ないとする意見を繰り返して開陳する。おかげで、食糧自給不可能論がいまや国民のコンセンサスを得たかのように見受けられるのである。この常識形成には、わが国は農地が狭小で食糧自給は不可能なこと、アメリカ農産物を買わねば工業製品を買ってくれない、とする情報のみが意図的に提供されたと思う。
ひるがえって、この「ジャポニカ米の潜在的生産能力」の国際学術調査においても、不測の事態に備えて世界にけるジャポニカ米の生産実態を把握するという目的もあった。筆者などは、6年間に亘り国内外のコシヒカリ、あきたこまち、など銘柄米の生産状況を見る限りでは日本品種の脆弱性ばかりが目に付き、ジャポニカ型水稲の土地生産性をつい過小に評価しがちであった。すなわち、アメリカでの根腐と倒伏、フィリッピンでの虫害、南半球ウルグアイでの低収、と書き立てればきりがないほど日本品種の弱点ばかりが脳裏に刻まれてきた。
ただ一つの例外は、エジプトにおける日本品種の多収穫であるが、これも砂漠地帯の高日射の恩恵だと理解していた。反省すれば常識の虜となり、環境決定論の亡者となっていたのである。中国雲南省では、さほど多くない日射量の下で記録的な多収穫を上げている。さらにいえば、一時期食糧不足が伝えられた中国では全国的なイナ作改良の結果、目覚しい単収の向上を果たして自給を達成した。いまや、江南地方では米を家畜の餌としているほど生産額が多くなっている。
農業に関して現在流布している常識としての環境決定論は、官僚と政治家の無能を糊塗するために喧伝されたものが多い。たとえば、気象的秋落ちなどはその典型だと思う。更に言えば◯◯県の米はまずいとか、△△地方の米はうまい、といった類も環境決定論だ。抽象的に行政区画で表現される水田は存在しない。水田立地の多様性をまったく無視した非現実的な官僚感覚の俗論である。
日本農業をまともな軌道にすえるには、環境決定論を覆す作業が必要なのである。この作業なしには日本のイナ作は現在の閉塞状況からの脱出は困難であろう。個人的な信条を述べさせていただけば、政策次第で日本の国土でも食糧自給はできる。農地の高度利用と土地生産性の向上に目を塞いでは一国の農業に明るい展望が開けない。世界のジャポニカ米調査からえた情報が、上記の論点をいっそう強固にしたと思うのである。
さて、中国における水稲の単収、作付け面積および籾生産量を第13図で示した。この図で分かるとおり、深刻な食糧不足が伝えられた1960年当時より水稲の単収と生産額は右肩上がりの一直線に上昇している。他方、作付け面積はハイブリッドライス(雑交水稲)の普及が始まった1970年代後半に最高で、その後減少しながら現在の約3000万haへと減少傾向にある。注:近年の中国は、米、とうもろこし、の輸出国である。
中国政府農業部が1996年に作成した第17表で、現在の多収穫の水準(現有高産水平)をみると、通常の水稲(常規品種)では北方粳(ジャポニカ)が最高の8250s/haをあげ、雑交水稲では一年一作のインディカとジャポニカで単収は北方粳と同じである。
北方粳の優良品種は、インディカとの交配が繰り返されて、稈基部が太くて折れにくく、葉は直立で緑が濃い、そして1穂着粒数が多いのが特徴である。見るからに逞しい。
ハイブリッドライスは喧伝されるほどの多収ではないようだ。籾8250s/haは、玄米換算で660s/10aであるから、さして驚くほどのことはない。注目すべきは、南方単季粳(一毛作)よりも北方粳の収量が高い点である。
中国の四川、山西、福建、湖南、広西の諸省においては雑交水稲の作付け比率が高く、北方の諸省では作付け比率はゼロである(第18表)。雑交稲が普及している地方においても、一割程度の増収は認められるものの食味に劣るので通常稲品種の人気が高い。中国の主要な雑交稲の組み合わせを第19表で見れば、花粉親の多くはIR系品種である。IR系品種の食味は東南アジアにおいても一般に不評である。なぜ不評であるのか、その原因を真剣に追求した事例は不学にして知らない。
第17表には、今世紀初頭(2001〜2005年)での目標水準を掲げている。現有水準よりも30%以上ものレベルアップを実現しようという意気込みである。最高収量において1200s籾/ha(玄米単収960s/10a)水準を狙っているが、これは実現可能な数字である。この段階では雑交稲の役割はほとんど終わるように見受けられる。
目標水準を実現可能な最高収量において、それに到達する技術を底辺へ拡大していくという増産政策の常道である。この場合、多収穫記録に重大な関心が集まる。
b.雲南省における二つの多収穫事例
作物学者のなかには、オーストラリアやエジプトでの水稲多収の主原因を、現地の日射量の多さに求める人がいる。水稲群落の光合成によって収量である炭水化物は生産されるのだから、群落の光〜光合成関係を検討すれば単純に上記の考えは支持できるだろう。だが、日射がさほど多くない環境においても記録的な多収穫を上げた事実がある。環境決定論を覆す意味で、二つの多収穫事例(注記参照)から紹介していこう。
[注記]:文献a) b).Table 20,21. Fig. 14はa)より、第15,16図、第、22〜29表はb)より引用した。
第一事例
a)天野高久ら、中国雲南省における水稲多収穫の実証的研究。第1報、ジャポニカハイブリッドライス楡雑29号の多収性。日作紀65:16〜21(1996)。第2報、ジャポニカハイブリッドライス楡雑29号の籾生産。日作紀65:22〜29(1996)。
b)天野高久:農耕の技術と文化(19)67〜91.
第二事例:1998年にDr. Yang Huiji(福建農業大學)が雲南省で実施。詳細は第31表の脚注に記載した。
信じるに足る水稲の多収穫事例を国内外で拾っていけば、かなりの事例が集まるであろう。だが、その多くは収量成立の理論的根拠を与えるところの栽培法の詳細、そして収量構成要素などが明記されておらず、まして環境要素となるとまったく不明なものが多い。インドのマハラシュトラ州におけるインディカの17.77トン/ha,中国雲南省での15.37トン/haなどの籾収量は当該国での公式記録として認知されているようである。しかし、これらの成立過程を解析しようとしても手がかりとなる情報が入手できない。
ここで紹介する二事例のように収量と収量構成要素が明示された成績は我々にとって貴重である。
[第一事例]イ、江蘇省でのハイブリッドライスと日本品種水稲の比較
天野氏を含めて五名の日本人研究者は、1994年に雲南省で多収穫を目的とした栽培試験を行い、Table 20にかかげた記録的な.19.82ton/haという多収穫を上げた。この場所の稲作期間の日射量をFig. 14でみると、それはカリフォルニア州のFresnoのように豊かな日射ではなく、京都よりもやや多い程度である。稲作期間の月平均気温は生育初期で京都よりも高く、後期では低い傾向にある。
全生育期間に受けた日射量の利用効率(光合成で作物に取り込まれたエネルギー)は、Table 21のとおり最大値1.88%であって、一般の作物群落なみで取り立てて言うほどの高い値ではない。このようなわが国に近い風土の下での記録的な多収穫例について、その成立過程を解析して多収を支配する要因を発見し、それが実現できる方向性を見つけるならば、どこでも再現が可能な数字のように思えるのである。しかしながら、多収穫を上げた同じ地域でも年度を変えて試験を行うと、必ずしも多収穫を上げるとは限らない。たとえば、江蘇省連雲港市で籾収量14.44トン/haを1983年にあげた。ここは長江、黄河の度重なる氾濫によって形成された肥沃な沖積地帯であって江蘇省内でも有名な水稲の多収地帯である。筆者もこの市をかって秋に訪問して、イネの熟れ姿や土壌を観察し、さらに稲作講演を依頼されたことがある。
第24表の脚注に詳しく記載しているが、1991年に連雲港市に属する二つの県で天野高久氏は中国研究者とともにハイブリッドライスと日本品種水稲とを用いて多収穫試験を行った。ここでは、日本品種水稲の特性をハイブリッドライスと比較する意味でデータ−をここに採択した。
注:優秀63号はIndica × Indica の雑種第1代。徐優3−2は Japonica × Japonicaの雑種第1代。第24表脚注本田施肥の右側は東海県,左側はGanyu県。
まず、10a当たり玄米収量を第22表でみると、日本品種は638〜662sであるが、汕優63号は965sと1トンに迫っている。このハイブリッドが日本品種と大きく隔たって勝っているのはu当たり籾数、出穂期乾物重である。また、出穂期間での窒素吸収量も両ハイブリッドの方が多い。籾数の多さは出穂までの窒素吸収量の多さに帰することが出きる。群落光合成量の多さを反映する個体群生長速度(CGR)は登熟期間では各品種とも大差がないが、汕優63号は穂ばらみ期~出穂期にu当たり1日に39.46gという著しく大きな値を示しているのが注目される(第24表)。しかしながら、登熟期間におけるCGRは13〜16程度に激減している。この点、雲南の記録的な多収穫では25〜28と大きな値を保っている。稲熟期の乾物生産能力で大きく異なるのである。
汕優63号の多収の原因を一言でいえば、籾数を多く確保したことと、出穂期のワラ重が重く、ここに穂に移行可能な炭水化物をたくさん貯えることができた。この蓄積炭水化物が登熟に貢献した比率は汕優63号で38.5%日本晴れで12.6%であった。茎葉の蓄積炭水化物の貢献が多収の一要因であるというのは雲南省での多収穫事例によっても示された。
ハイブリッドライスの特徴は、根の吸収機能が強化されていることである。この現象は雑種強勢現象の一断面として広く他の作物にもみられる。ともかく雑交稲は、稈が太いのが特徴であってその基部より直径の太い根が発生する。これが旺盛に養分吸収を行うので、1穂に着く籾数が多くなる。稈の細いイネでの多収穫は不可能だ。
栽培法として注目すべきは、Ganyu県で窒素施用量が40sと多い点である(第24表脚注参照)。元肥窒素はさして多くないが四回の窒素追肥で合計量が増えた。有機肥量を省略したチッソの多数回分施は、日本のV字理論イナ作や片倉式(第25図)の轍を踏んでいると思われる。また、除草剤1回と殺虫殺菌剤5回の農薬散布も完全にわが国の稲作と類似している。
中国のハイブリッドライスは、単位面積当たり籾数の獲得の点でわが国品種より勝っており、強大な分げつが多数発生し、それぞれに籾を多く着ける。この特質は旺盛な根系の窒素吸収力で支持されている(第23表)。ちなみに、第22表の詳細を数字で示せば次のとおりである。1穂籾数を120粒以上着けて、それらが稔っても倒れない稲であるからよほど茎が丈夫であるかが想像できよう。これと較べて、黄金晴、日本晴は現在の日本水稲の中ではタフな品種だが、雑交稲と較べるとまるでひ弱な花である。
Shan You 63 Xu You 3-2 黄金晴 日本晴
穂数/u 50,360 55,100 38,400 37,300
1穂籾数 139.5 124.1 76.8 82.8
ロ、雲南省におけるジャポニカ型雑交稲・楡雑29号の多収記録
既に述べたとおり天野高久氏ら日本人5名は、1994年に中国雲南省において第25表に掲げた内容の試験を実施した。ここでは元肥に10a当たりに厩肥2.3トンを与え、化学肥量としては三要素、N:13.5、P:10.4、K:9.8(s/10a)と、ほぼ日本での多窒素区並に与えたに過ぎなかった。この結果は第26〜29表で示した。
最高収量は楡雑29号、疎植区(41.3株/uで日本の約2倍)で、実に10a当たり玄米換算1498sの収穫を上げたのである(第26表)。u当たり穂数485本。同籾数は8万7700と驚異的な多さだ。平均一穂籾数はこれまた180.9個という着粒である(第27表)。このような水稲で収量を引き下げるのは登熟歩合であるが、これは76.2%とまずまずの値で、登熟期での乾物生産の多さを物語っている。
日本の多収穫試験の場合、u当たり穂数を500本立てることはさして難しくはない。問題は一穂籾数を100粒以上とすることである。上の二要素の積であるu当たり籾数が5万粒のとき、その80%(登熟歩合)に23mgの玄米が実れば、収量は920sとなるのだが、現実はそんなに甘くなく江蘇省での日本品種は籾数4万弱(第23表)で登熟77.2%、収量638sである。
ここで、群落光合成による登熟期間の太陽エネルギー固定効率をみると、それは0.88%であって取り立てて高い値ではない(第28表)。つまり登熟期間の光合成速度が高くて、そのために多くの乾物が生産されたとは言えないのである。滞りなく分げつを行って、その穂にたくさんの籾がつく(第27表、第15図)、という平凡ともいえる生育経過だが、それを支持するには出穂期までに沢山の窒素を吸収しなくてはならない(第16図)。ところで、出穂期までに沢山の窒素を吸えば当然のことながら地上部が繁茂して葉面積指数が高くなる。第16図Ys, Ydほどの20gを越す窒素吸収量だと葉面積指数は、ゆうに10を超えるだろう(津野 「イナ作多収穫論」)。このとき常識的に考えれば、登熟期間の乾物生産速度が極度に引き下げられるのではないかという懸念が生じるのである。
徹底して問題としていきたいのは、我々の常識では過繁茂といわれている葉面積指数10の段階での水稲の乾物生産量である。第24表の江蘇省で40gちかいCGRを上げたのは実に葉面積指数10.18であった。雲南の場合10a当たり2978sと実に3トンに近い乾物生産量である。(江蘇省の場合、2500s程度であろう。)
全乾物生産量が多くなればなるほど収量は増える。この内容は、第26表を見ればわかるとおり、ワラ重の差は区間で少ないが籾重に差があるために両者の和である全乾物生産量に差が生じるのである。籾重を決定する登熟期間の乾物生産、これの支配要因が明らかになればより超多収穫の核心に迫ることが出きるのだが、残念ながら天野教授らの成績ではそれを欠いている。ぜひとも指摘しておきたいのは、雲南での栽培では第25表のとおりに除草剤1回、殺菌・殺虫剤散布7回が肥培管理に加わっていることである。これを多収穫実現には必須の条件と考えるべきであろうか。この検討は今後の大課題である。
[第二事例]雲南省における多収穫水稲の生長解析( Dr. Yang Huiji の論文より)
本試験は第31表脚注にある二地点で1998年に楊博士によって実施された。一つは海抜5m(福建)の地点、他は海抜1200m(雲南)の地点である。供試した品種は第30表の雑交稲14、常規稲2品種で、施肥は第31表(1)脚注にあるとおり日本の場合の約2〜3倍量である。
へクタール当たり籾収量は収量順位にしたがって、第31(1,2)表に示してある。簡便に話を進めるために本小論では収量順位1〜4を福建と雲南で比較していきたい。
海岸部の福建での籾収量は10トン内外であるが、内陸山岳部の雲南では16〜18トンの高水準である。これは天野教授の19トンには及ばぬが、中国でも最高水準にランクされよう。
さて、収量構成要素のうち穂数は、福建189〜264であるのに対し、雲南が307〜414と格段に多い。1穂籾数には大差がないが穂数に差があるために、u当たり籾数は雲南が5万9千〜7万8千と福建の4万台を大きく抜いている。この点より、まず収量差を決めたのは穂数の形成過程であると思われがちだが、実際にそれを第32表からみれば両地区で大差はなく、先に指摘した穂数差は主に栽植密度(福建:20×20cm, 1本植え25株/u。雲南:13.3×16.7cm,1本植え45株/u)の差からきたものである。
ところで、u当たり7万個もの籾を実らせるには莫大な炭水化物の生産を必要とする。楊 博士は、生長解析法によって福建と雲南との間の収量差を明らかにした。そして具体的な結果を第33表にまとめられている。すなわち、登熟期間(C)の個体群の乾物生産速度(CGR)は、福建19.9に対して雲南が26.6と格段に高い。また、生育中期(田植後30日~穂揃期)のCGRにおいても雲南が高いが、上位4番までのCGRは30g内外である。その詳細な数字は第34表にある。
一般にCGRは、葉面積指数(LAI)が多くなると引き下げられる傾向にある。最大LAIと考えられる穂揃期のそれを第34表の上位4品種について見ると、福建は5.55~8.06であるが、雲南では9.74~11.54と極めて大きな数値をとっている。わが国では最適LAIが7程度であるとする成績が多い。繰り返すが、この日本の常識を覆すほどの大きな葉面積指数である。
最も注目に値するのは、生育中期における茎葉重(乾物集積量)が雲南では著しく重いということである。すなわち、福建では678~784gであるのに、雲南は1426~1493gという2倍に近い重さだ(第35表)。この茎葉重のうちで、それに含まれる転流可能な炭水化物が穂に移行して、その稔実に貢献するのである。貢献率を第35表では茎葉乾物輸出率%として表示している。この値では両地点間では大差はなく、若干ながら雲南が高い値をとる。しかし、茎葉重で雲南がほぼ2倍であるので、輸出量は2倍以上となり、その分だけ籾が多く肥大することとなる。これが繁茂度の高い穂揃い期から乳熟期頃における穂重増加を支えていると考えられる。
雲南において記録的な多収をあげた要素を、筆者の理解に従って列挙すると次のとおりである。
@ uあたり7万粒に達する籾を確保できた。
A 登熟期間に26g/u/日もの高い乾物生産速度を保持できた。
B 穂揃期の葉面積指数が11にも達するほどの茎葉重をもち、それに転流可能な炭水化物を豊富に含有していた。
C 穂揃い期の茎葉中の転流可能な炭水化物の貢献率は、穂重増加分の30%にも及ぶ。これは茎葉の形成に必要な乾物生産を穂ばらみ期の早い時期に達成できたからだ。
以上のほかにもう一つ登熟期間の長さの問題があるのだが、これについての詳しい論述
は次項の結論部分で筆者の意見として開陳したい。
5、日本品種の未来像を求めて−逞しさと多様性で未来を拓く−
a.ひ弱な日本品種に未来はあるか
海外のインディカ地帯で日本品種水稲に接してみると、また中国において大胆に改良された最近の多収穫用ジャポニカ品種に接してみると、我々は粘る飯に表徴さるところの良食味をを追求したあまり、肝心のイネそのものを脆弱にしてしまったことをいやというほど思い知らされたのである。さらにいえば、良食味銘柄品種しか眼中にない現在のイナ作が日本農業の未来を奪っているように思われるのである。
率直に筆者自身を反省すれば、自ら培った既成観念にとらわれて、日本品種のひ弱さ加減をイネ本来の特質と信じ、それを常識化してきたのであった。いまにして思えば、もっと早く日本品種の弱点に気づくべきであった。
このことと関連して初めに、日本の水稲育種家の良心を物語る逸話としてコシヒカリの生みの親といわれている石墨慶一郎氏の談話を紹介させていただきたい。筆者が第二回日中稲作技術交流団(社会党八百板代議士の斡旋)の団長を勤めた時のことである。場所は中国四川省成都市のホテルの一室である。「いまコシヒカリが良食味ということで脚光を浴びてきた。しかし、あれは自分がひねくれた心境のときに育成したもので、そのときの心が反映していてまともなイネではない。多収穫という錦の御旗に反感を抱いて、自分用に美味い米をこっそり育種したのだ。しかし、今は天気が悪いとイモチ病が気になり、風が吹くと倒れはせぬかと心配で夜もおちおち眠れない。農家の方々にご迷惑をかけて申し訳なく思っている。」と、しみじみ筆者に述懐された。先生の醇厚なお人柄と共にこの言葉をいまだに忘れることができない。ひねくれた心境になられた経緯も語らねば石墨先生の真剣な気持ちが伝わらないのだが、それはあえてここでは伏せておく。
コシヒカリが普及しはじめた当時は、別名をコケヒカリと言われたくらい倒れやすかった。その後、この品種に人気が集中してイナ作面積の大きな割合いを占めてくると次第に倒伏は影を潜めてきた。その代わり、○○県のコシヒカリは倒れない、などのうわさが広まった。各県のコシヒカリを集めて一箇所で比較栽培をやっている現場を見たが、なるほど草丈から出穂日までが違っている。当然食味も微妙に違っているだろう。米の取引に関係している方ならば、そんな分かりきった公然の秘密を暴き立てるのは大人げないと思われるだろう。が、日本の水稲とイナ作のあり方を考える上では決して見過ごしにはできない事実である。
話を本筋に戻して、海外で栽培されている日本品種水稲の脆弱性を次に列挙しておこう。
イ、 直播き栽培の場合に特に倒伏しやすい。これは地際節から発生した根が腐って支持根の役割をはたさないからだ。
ロ、 深水栽培を続けると分岐根が早い時期から枯死してしまう。分岐根が枯死した部分から主根の破生通気組織に根圏水が浸入して衰弱する。このため、中干し、間断灌漑が必須条件となる。
ハ、 稈が細くて強度が足りない。とくに稈基部が細いから発生する根の直径が小さくなり、根の物理的強度が不足する。育種選抜に際して、稔実を完了した時期に株を田から引きぬくと、その抵抗力の大小で根の強さを総合的に知ることができる。
ニ、 基本的に稈が細いのが諸悪の根源で、出穂前には葉が直立して受光態勢のよい群落でも、穂の稔実がすすんでトップに荷重がかかると茎が湾曲して葉が重なり合い,受光態勢が極端に悪くなる。
ホ、 一穂に着く籾数が少ない。細い稈のイネで耐倒伏性を高めるために草丈を低くした結果である。稈を太く長くする方向で受光態勢(特に登熟期)の改善を図る。
多収穫への道を閉ざしたイナ作は、なんといっても変則である。まず収量水準を引き上げ、次いで品質を改善するのが作物生産の本来在るべき姿だと思う。
b.いかにして現状を超えるか−品種改良の方向を模索する−
イ、太い茎と大きな穂が超多収を実現した
栽培イネのうちサチバに属する品種群は、交配の難易度(雑種第一代の稔性)よりインディカ、ジャバニカ、ジャポニカの3グループに分けられていることは冒頭で指摘した。これは偶々日本人研究者が広くアジアのイネを交配して発見した親和性に基づいている。一つの国にかぎってイネを分けると、また別の表現がとられることもある。たとえば、インドのイネを栽培時期でわけると同じインディカでも、ボロ、アウス、アマンと区別される(第17図参照)。またインディカにはチレーもある。ネパールと中央ヒマラヤには畑状態でドリル播きして栽培するgeyaイネ、と棚田で主用時期だけ湛水するpuyaイネがある。栽培稲の分化上で注目されるのはヒマラヤ(シッキムとダージリン)のイネで、これは他の全ての生態型と同程度の稔性(64〜65%)があることを盛永俊太郎氏(1967)が報告した(第18図、注、この図のブルーはジャバニカ)。これより栽培イネの起源は山岳地帯であるとする根拠を与えたのである。
インドや中国のようにヒマラヤ山地に近い大陸に位置すれば、多くの生態型の分化を促したり、また分化した生態型より複数を選択する余地があった。わが国にも多様な生態型の在ったことは農書の記録に残っている。しかし、明治40年代には第20図のようにジャポニカのみが細分化して、数種の主要地方品種として栽培されてきたのである。この図に上げた数品種が現在の有力品種の母体となって今日に及んでいるのだ。
コシヒカリ、ササニシキという大銘柄品種も代表的近代品種日本晴れも第19、20図で分かるように血統は極めて近い親類品種である。これが悪いと言うのではない。ここで言いたいのは遺伝子の分布幅が狭くなり、その結果として形質に偏りがでているという懸念である。特に銘柄米品種は、イネ本来の耕種的逞しさを犠牲として、炊飯の食味を中心とした選抜がなされたものであって、イネの耕種的欠点を農薬でカバーしている。
イネ本来の逞しさを取り戻すためには、イネの生態種分化の原点に立ち返り、広く遺伝子をジャポニカ以外のグループから導入しなければならない時期に差しかかっている。それは、超多収・良品質の両立を品種改良の目標として立てたときには、日本品種だけの交配からでは困難だと考えられるからである。
食糧難の時代から米余りの時代に至る間は、米の多収穫が農民の念願であった。限られた田より一粒でも多くの米を取りたいという意欲が、各地に米つくり日本一の名人を育ててきた。第37表は、田中 稔氏が米作日本一の記録を実施年度5年ごと4期に区切って、各項目を平均値として整理されたものである。まず、各期の平均単収(10a当たり)をみると、2期(昭和29~33年)が最高で、951sである。籾収量に換算すればほぼ1200s台で中国雲南の1800〜1900sには遠く及ばない。
日本の大増産時代に腕っこきの精鋭農家が全力投球した結果がこれである。日本品種の収量限界を思い知らされるデーターではないか。栽培技術として注目すべき点は、保温折衷苗代と間断灌漑、中干しの採用である。そして、土つくりに重点をおいた栽培であるので化学肥料の施用が意外と少なく、追肥回数も1.4回とあくまでも元肥重点の施肥体系である。
米作日本一に参加した農家は、籾数/uは5万個台は確保できていたと推定できる。これに較べて雲南省の多収穫事例ではu当たりの穂数は400本内外でありながら、籾数は8万台である。天野教授の成績では穂数465本で1穂粒数180.9個,u当たり籾数8万8千近い。平均着粒数180個の穂を想像してみよう(第27、31表)。この莫大な籾それぞれをデンプン(炭水化物)で以って充実しなくてはならない。雲南では登熟期における炭水化物生産速度(=個体群生長速度、CGR)が平均26.6g/u/日(週当たり186g)であることを第33表で見た。日本の4地点における水稲CGRの時期的変化を第23図に示した。日本の場合、最高値こそ雲南に等しいが、稲熟期になるとみじめなほどに低下をきたす。もっとも、600sほどの単収を上げるにはこれで十分なのである。
現在の収量水準を超えて画期的な多収穫を実現するには、稲熟期における群落の炭水化物(=乾物)生産速度(CGR)を引き上げなければならないのであるが、登熟期にはすでに水稲は生理的に老衰期にあるので、穂孕み期のCGRを高めておく必要があることは、第33表と第23図から指摘できる。
ところで、CGRは葉面積指数(LAI)と純同化率(NAR,葉の炭水化物生産能率)の積で求まる。CGRを大きくするには、LAIとNARを共に大にすればよいのだが、実際は両者の間には第22図上図のような反比例関係が成立する。その結果、葉面積指数と乾物生産速度(CGR)との間には、同図下図の如き単頂長曲線で示される関係が成立するのである。もちろん曲線の頂点が最適葉面積指数となり、通常その値は日本品種では6〜7であるとされている。
第22図の関係では、葉面積指数が10を超えると乾物生産速度はゼロとなる。これを防ぐには、群落構造の改良−葉を直立状態に近づける−により太陽光が群落内部にまで良く届くようにしたのである。この群落構造の改良を意識して育成されたのが、シラヌヒ,ホウヨク、などに代表される多収性品種群である。また、マニラ市郊外にある国際稲研究所でも、このアイデアのもとに多くのIR−系品種が育成されて、緑の革命と騒がれたのもそう遠い昔のことではない。現代中国では、あらゆる育種の先端技法を取り入れて、つぎつぎと画期的な品種を育成している。特に、東北地方のジャポニカ品種には、我々が参考とすべき品種が多い。
積極的に群落構造を改良した結果、中国の超高収品種は葉面積指数と純同化率との関係において、第22図上図でB線で示すようになったと推定される。もちろん、純同化率は受光能率のほかに葉面光合成速度や葉面積当たり固体呼吸速度が関与する(津野幸人:イナ作多収穫論、農業技術体系2作物編、農文協、参照)。なかでも葉面光合成速度は中心的要因として認識され、下葉の光合成速度を確保するために群落内部への光の透入を期待するのである。
上の常識を覆して、葉面光合成速度の高い葉身が群落上層に偏って分布していると捉えるとどうであろうか。実際、改良された中国の水稲群落は、登熟期においてはそのようになっているのだ。群落下層の光は、下葉の呼吸を押さえる程度を期待する。中国の改良された水稲品種の生育状態から得たヒントである。
雲南の多収穫水稲では、穂揃い期に10を越した葉面積が成熟期には半減して5台に減っている。群落上層の葉が光合成の主役を握っておれば問題は少ない。むしろ、第22図でいえば葉面積が減ることによってCGRが高まったのである。もちろん、葉面積が減るというのは葉の枯れ上がりを意味しており、上葉においても窒素濃度の低下がみられる。これは植物生理の上からいえば単位葉面積当たりの光合成速度の低下をきたすから、わが国の研究者の間では決して歓迎される現象ではない。しかし、わが国品種のように茎の過密現象で細い茎となり、それが稔実とともに湾曲して、なびいてしまったのでは直立葉の意味は失せている。登熟期にも葉が直立した群落では、下葉の枯れあがりによる葉面積指数の減少は、上層の葉には光の面ではいささかの悪影響も与えないで、下葉の枯死により葉面当たりの呼吸量を引き下げるという好ましい効果も考えられる。
一方では、下葉の生存は根の活力維持に有効との説が有力であり、下葉の生存を維持するために追肥を繰り返す片倉権次郎式イナ作(第25図参照)は、松島省三博士のV字理論稲作と並んでわが国の農家に大きな影響を与えた。もともと根の機能の脆弱なわが国の水稲には、間断灌漑とともに片倉式多追肥が下葉の維持に有効なのではあるまいか。もっとも、片倉さんの稲は単収700s台であった。現在の一般水準である単収500s内外のイネでは、出穂期に止葉と第2葉を残して、下葉を除去しても登熟には影響を与えなかったという成績もある。
基本的には根の蛋白含量が根の活力に関係を持つようだ。V字理論に忠実にしたがって、幼穂形成期に極端なまでのチッソ中断は根の老化を促して、その後のチッソ追肥でも根の呼吸機能は回復しない。なによりも土壌深層部にチッソが多い方が登熟期におけるイネの根の活力を高く保つ上では有効である。楊 博士の成績にしても、根の調査や雲南と福建との間での養分吸収量の差に関するデーターがないのは残念である。
また、興味深いことに、同じ16品種のイネでも雲南の方が福建よりも止葉の次の葉より下へ4葉までがより直立的で、それら3葉の平均値は雲南74°福建59°(水平面と葉身とのなす角度)である。根の枯死が進むと全ての葉がたれ下がって水平に近づくことは、筆者も経験的に知っている。多収穫理論の確立に当たって、根の活力と土壌の窒素供給力の則面とを根本的に究明しなければならないと思う。
ロ、初期生長の促進と登熟期の養分吸収力が決め手
これまでの論議より超多収穫を実現するイネの姿として浮かび上がってきたのは、(i)まずu当たりに8万個の籾を確保するイネでなければならず、(ii)しかもそれは一穂籾数が180個もの穂重型のイネである。(iii)また、1個の籾稔るための光合成には最低1.5cuの葉面積が必要である。この数字を8万倍すれば12uもの葉面積(指数)が出穂期には必要だ。これだけの生育量を本田期80日程度で確保するとなると、どうしても健苗の育成と初期生長の促進が必要なわけである。
初期生育の促進は、松島省三博士のV字理論稲作では強調されたが、他方の片倉式ではむしろ初期生育の抑制が強調された(第25図参照)。現在の良食味米生産では施肥体系よりも葉の窒素濃度と玄米の蛋白含量との関係、つまり米の品質に関心が集中しているので、重点の置き所が過去の多収穫の場合とは違ってきた。
さて、中国雲南の超多収穫を実現した乾物生産は、登熟期間の光合成だけに依存したものでは不足であって、その不足分は出穂期以前に茎葉中に貯えられた蓄積炭水化物によって補われたことを指摘した。第26図で模式的に示したとおり、茎葉生産期間と収量生産期間とが重なり合った時期に蓄積炭水化物は生産される。この重なり期間が長いほど、すなわち、早く茎葉が形成されるほど蓄積炭水化物が多くなるわけである。この意味で多収穫栽培では初期生育の促進に重要な意義があるのである。第38表では、蓄積炭水化物生産期間が長くなれば玄米増加に対する蓄積炭水化物の貢献率(B/C)が大きくなるという事実を具体的に示した。
日本のような曇天の多い風土では、幼穂形成期に与える追肥(穂肥)の時期と、施用量の決定に苦労する。ふつうは葉の緑色程度と葉鞘のデンプン蓄積程度の双方から判断して決定する。アーカンソウ州のように日射量の多い場所では、葉鞘のデンプンをヨード液で染めると、すべての葉鞘が真っ黒に染まる。出穂期に稈のデンプンを調べても上から下まで一杯に蓄積していることが分かった。この蓄積デンプンを利用して稔るせいか、倒伏したイネでも稲熟歩合は高い。それよりも根ぐされのために秋落ち状態を呈したイネの方で千粒重が軽いのである。アメリカのイネ研究者の中には、止葉だけの光合成で登熟は完全に行うことが出来るという人もいる。穂が小さくて籾容積が狭い場合ならば、蓄積デンプンが多ければそれだけで稲熟は可能であろう。
第26図には、乾物生産速度(CGR)の時期的変化を示し、それの理想的な経過と現実のイネの経過をとらえ、理想的経過との落差を図示した。現実のイネのCGR(第23図)を理想型に近づけて全乾物生産量を最大にすれば、収量はおのずと増加するというのが筆者の多収理論の骨子である。図らずも本小論で引用させていただいた雲南省における二つの多収穫事例は、長年の主張を支持するものとして筆者にとって真に貴重である。
現実問題として、本当に難しいしいのはのは後半の落差解消である。
出穂期において、茎葉に含まれる窒素量(s/10a)に0.5をかけた値がそのときの葉面積指数に相当することを早くから筆者は指摘してきた。天野教授の成績、第29表では出穂期の地上部(茎葉+穂)窒素含有量は楡雑29号が23sである(第16図)。穂の窒素を差し引いて推定すれば葉面積指数は10〜11程度ではあるまいか。これで登熟期にに臨むわけだが、莫大な量の乾物生産と土壌からは多量の窒素(リン、カリも)が吸収されなければならない。登熟の進行に無機養分と水分の吸収が伴わないのが、いわゆる根腐れによる‘秋落ち’現象である。
楊博士の資料、雲南では最大の総乾物生産量は3トン/10aである。その窒素含有率を1.2%と仮定すると、全窒素吸収量は36s/10aと算出できる。出穂期の窒素吸収量を22sとみなせば、少なくとも14sの窒素を登熟期間に吸収する必要がある。これらの数字は推定値であるが、ごく大まかに見ても10〜15sの窒素吸収は必要だろう。雲南での施肥量は第31表脚注にあるが、10a当たり厩肥2.7t、化学肥量としての窒素全量39sである。これら窒素肥量の利用率は100%ということはありえない。水稲が登熟期に吸収した窒素のかなりの部分は土壌窒素由来のものではあるまいか。
いくら豊かな土壌窒素が存在したとしても、根が健全でなければ窒素などの無機栄養分の吸収は困難である。根が健全で登熟期間に沢山の窒素吸収を行う稲の収量が多いということを第27図は示唆している。登熟期間における根の健全性、これの究明が急がれるわけである。現時点での良食味米研究でもここがすっぽりと欠落している。また、超多収穫を実現したイネを材料にして、それに過去の知識の適否を突き合わせていかなければ、真に本質に迫る論議はできないと痛感する次第である。
最後に問題としたいのは登熟期間の長短である。
一般に知られているとおり、籾の着粒数が多い穂ほど2次枝こうに着く籾が多い。この籾は弱勢籾として位置付けられて、登熟不良で米質を低下させる元凶として敬遠される。なぜ2次枝こう着生籾が登熟不良であるかと言えば、同じ穂の中で開花授精日が遅く、かつ炭水化物の通導パイプである維菅束が細いからだとされている。事実、登熟速度は第24図でみられるとおりに複粒群(第2次枝こう着生籾)がおそく、粒重も軽いのである。だが、これら複粒群の籾も日数を置けば立派に登熟する。ただ穂全体から見た収穫時期があるのでそんなには待てない。しかし、日本品種水稲は脱粒しにくいので長期間田におくことができる。
ハ、登熟期間の長さについて−時間段階の意義−
再度、第34表を見ていただきたい。同じ品種でも収量の多い雲南が福建よりも1週間ほど登熟期間(C)が長い。これは乾物生産の上からは軽視できない差であると思われる。
(注、この表のCは、穂揃期より成熟までの期間であって、われわれが稲熟期の基点
とする出穂は、田全体の二分の一が出穂した時期であるので3~4日の差がある。)
信頼できる文献の上から探せば、わが国で最も多収穫を上げたのは島根県の佐々木伊太郎氏である。戦前、富民協会が実施した昭和4年の「米穀多収穫競技会」において反当玄米8.04石を記録した。玄米に換算すれば1260sにもなるが、これを第37表の単収と比較していただきたい。後にも先にもこの記録を破った者は日本にはいない。ただ、収穫した生籾の百分の一を審査場に持ち寄り、審査員立会いで乾燥、籾すり、を行って収量を算出するといったやり方である。これには“協会の審査法はあまり競作者を信頼することが深く、ややもすれば不正手段を誘発するおそれあり”との現地審査立合い者の批判もある。
ともあれ、佐々木氏の場合は厳正に審査が行われたことを文献の著者は述べているが、全刈調査でないので単収にはこれ以上触れないで置こう。確実に信用できる点だけを次に列挙した。
@ 山間部棚田で、当初の耕土9cmを12年かけた土地改良の結果、耕土深19cmとした。
A 品種北部2号、3本分げつ苗を5月28日に丁寧に一本植えした。密度22.7株/u。
B 出穂日9月1日、収穫11月20日、登熟所要期間70日。
C 9月20日の調査で、穂数364本/u、1穂籾数120〜170個。
D
施肥量(10a):堆肥5.6トン。硫安7.5s。浅水管理。
推定施肥量(10a):チッソ45s、リンサン113s、カリ135s。
文献:手島新十郎(1930)米八石四斗の世界的記録とその耕種法に対する技術的批判、
農業及び園芸、5(3,4)332−337、465−473.
上の内容は、当時の田収穫栽培としてみる限り特殊なものではない。大きな特徴を挙げれば、大きな穂を得るために苗代で3本も分げつさせて、それを浅植えとするために反当四人の労力をかけて田植をした。しかも、早植えであるために田植から出穂までの日数97日で、付近一般より20日長く取ることが出来た。出穂も早まったので稲熟期間を一般よりも10日長く取ることが出来た。当時の西日本の品種は、一般に登熟期間が長かった。秋の長さが複粒群籾の稔実を許した。
初期生育の促進で、大きな穂をつけることが出来たのだが、その穂の2次枝こう着生籾(第24図の複粒群)の稔実に田収穫の成否がかかっている。佐々木氏は、出穂期を早めて登熟期間を長くすることでそれを解決したと理解できるのである。
熱帯インディカの在来種は、穂の大きい品種が多い。その稲熟経過を観察していると、まず短粒群の稲熟が進行し、ついで複粒群が登熟していくことに気づく。脱粒し易いので丁寧な穂がり収穫が必要だった。一穂200個以上もの籾を持つセン(インディカ)では、単粒群の増加速度が低下したときに複粒群の増加速度が急上昇して、一穂の穂重増加曲線は二つのピークで構成されている。その玄米肥大の様子を軟X線でとったスライドを見せてもらったことがある。残念ながら研究者の名は失念したが、中国江蘇農学院の助教授の方であった。
土地利用の上からいえば、一作物で生育期間を長く取るのは不経済なことであろうが、かりに一作物で他の二作物分以上の食糧を収穫するならば話は別となろう。将来、必ずや限られた面積の農地より可及的に多量の食糧生産が要求されるに違いない。土地生産の永続性の面からも、人間の栄養面からも、人類が水稲の超多収穫へかける期待は大きい。
作物生産の原動力である群落光合成作用は、葉の老衰による光合成速度の低下と葉の空間的配置からくる制約という両面で、大きな制約を受けている。無機養分の補給が作物生長の制限因子となっている段階では、葉面積を大きくすることで作物収量は増加する(葉面積段階)。化学肥料の出現によって作物生長が無機栄養からの束縛から開放された段階では、葉の空間配置を合理的にして受光態勢の改良がみられ、これによって単位葉面積当たりの炭水化物生産能率(純同化率)は向上した。
しかしながら、葉面積と純同化率との積で得られる炭水化物生産速度は、第22図上図の如き関係で縛られて上限がある。最終的に作物生産を高める方向は、生産速度の上限を長時間維持することによらざるを得ない。つまり時間段階へと移行していくのである。これらの段階を一図にまとめたのが第28図である。雲南で達成した超多収の水準を更に突破するには、必ず時間段階をどう処理するかが決め手となる。このとき、土と根の研究へ重点を移さざるを得ないだろう。
平たく言えば、限られた輸送力(炭水化物生産速度)で倉庫(籾数)に荷物(淡水化物)を運ぶとき、その倉庫が大きくなればなるほど、荷物を一杯に詰め込むのに時間がかかるということである。また、輸送力を長時間にわたって維持することも課題となる。
6、むすび
海外での日本品種水稲の栽培に接してみて、しみじみと思い知らされたのはか弱い花としての日本イネである。何がかくしたかと言えばわが国における銘柄米品種の横行である。
異常なまでの美味い米へのこだわりは、真に消費者ニーズとして生産者に投げかけられたものだろうか。食味検査にたずさわるパネラーでもって食味評価を権威付ける制度はおかしい。しかも一旦農家に普及した段階では、ちょっとやそっとの風では倒れないコシヒカリがあっても誰も表立っては問題としない。一方では米の一人当たり消費量が年々低下している。粘りつくような飯に消費者が飽きてきたのではなかろうか。
少年・少女の好む米、老人向けの米、牛や鶏の好む米、このような多様性があれば楽しいではないか。むしろその方が未来志向的であると言える。現在、水稲の育種は主に国の研究機関が担当しているが、かなりの都道府県でも実施している。しかるに、これといった名品種が出現していないのは不思議だ。わずかに、北海道、そして東北と九州の一部の活躍が目立つばかりだ。そこに土性骨の座った育種家が存在しているからだろう。品種に地域性というか風土性が感じられる。品種の風土性とは、その風土に住まう農家が作りやすい品種を意味する。コシヒカリとの食味比べから1歩も踏み出せない官能試験パネラーを使っていたのでは底が知れている。
海外におけるのジャポニカ米生産の現場から学んだのは、日本品種水稲の虚弱体質である。まず多収性を実現してから、次のステップとして品質を向上するという育種の王道から反れて、品質のために生産性を犠牲にした申し子が現在の大銘柄品種であると言わざるを得ないのである。中国研究者の飽くなき土地生産性向上に賭ける情熱を学びたいものだ。
遺伝資源を世界に求め、わが国水稲に多様性を付与する作業が緊急に必要である。
米は日本国民の生命を預ける大切な主食である。農業の発展方向に定見のない官僚育種家に水稲育種を任せるよりも、いっそ民間育種家の活力を全面的に活用するのも一案ではなかろうか。少なくとも官民が競争する体制が望ましい。