世界における穀物の近年一人当たり消費量の変化と展望

 

 鳥取大学農学部 伊東 正一  

 

1 一人当たり消費量の変化

 日本人のコメ消費量が減少し始めて久しいが、減少の傾向はまだ止まってはいない。減少率は低下しつつあるが、同じコメを主食としている台湾で1960年代の160kg(精米)の消費から現在はわずか60kgに低下していることを考慮すると、日本の現在の70kg前後はまだまだ予断は許されない状況である。そのようなコメの消費減退の一方でコムギの消費は増大している。こうした状況は日本だけではなく、他の多くのアジア諸国で同様の現象が起きている。特に主食としてのコメの消費量が減少している。その一方で飼料用としてのコメ消費が増大し合計のコメ消費量が拡大している国もある。さらにコーンが飼料用に消費され、その消費量は著しく拡大している。つまり、畜産物の消費量が拡大しているわけである。このような消費量の変化は主要な穀物の消費量を同時に眺めてみることにより、その消費行動を判断することができる。

1には1988年と1998年の時点における一人当たりの消費量、そしてその10年間の増減をコメ、コムギ、コーンについて表した。各国の消費量は年によって急激に変化することもあるが、おしなべてこの10年間の差はその傾向を示しているとみてよいであろう。世界各地の一人当たりの消費量が地域により、また、穀物によりどのように異なっているか、また、変化しつつあるかをみてみたい。

コメ、コムギ、コーンのそれぞれについて、世界各国の一人当たり消費レベルをみると、消費量が高い地域はコメではアジア諸国、コムギでは旧ソビエト、欧米、豪州、アフリカの北部、南米南部などに広がっている。コーンは北・南米諸国、及びアフリカとヨーロッパの一部で高い。日本も高い方である。旧ソビエト諸国及び東欧諸国のほぼ全ての国々では全穀物において消費量が減少し、その減少量は並みではない。穀物だけでみるとそれほどにこの地域の食料問題は深刻であるとうかがえる。

 その他の地域においては、コメがアジアにおいて変化なし、増加、減少の国々がそれぞれに分散している。増加の国が中国やインド、ベトナムなどをはじめ、意外に多いのはアジアでもコメを飼料用として消費している国が増えつつあることを示唆している。但し、中国においては1980年代半ば以降の一人当たりコメ消費量は下降の傾向にある。その一方で、コメを主食としていない北米や南米、それにアフリカの一部、中東、及び西ヨーロッパで増加しているのが注目される。アメリカでのコメ消費の増大はここ数年来の寿司ブームや東洋食ブームとも関係が深いとみられる(後述)。

コムギの一人当たり消費量が高い地域は、南・東南アジア、それに北米、アフリカ、西ヨーロッパで顕著にみられる。欧米諸国では歴史的にコムギの消費量は多いが、この10年間においても増大しているのはコムギの飼料用としての消費が増えている点がある。

 コーンの一人当たり消費量はアジア及び北・南米の国々で増大している。西ヨーロッパでも同様である。これは畜産物の消費拡大と共に、コムギ以上にコーンが家畜の飼料用として消費されていることを物語っている。

 

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2 アジアのコメ消費減退と農業

主食用としての一人当たりコメ消費レベルはアジアの多くの国々で減少しつつある。Itoらが「アジアのコメは下級財になりつつあるか?(Rice in Asia: Is It Becoming an Inferior Good?)」と題する論文をアメリカの学会で発表したのが今から10年余り前の1987年のことである。当時、アジアの一人当たりコメ消費量はすでに日本をはじめ減少している国々もあるが、やがては経済発展に伴う所得の増大で、いま消費量が増大している国々でも減少していくであろうとの仮説を唱えたのである。これが1989年には学会誌で印刷出版(Itoら、1989年,全米農業経済学会誌(AJAE))され、世界から反響を呼んだ。一方では反対論もあった。しかし、Itoらが仮説を立てて予測した傾向は10年余りを過ぎた現在でも着実に進行し、一人当たりのコメ消費量が減少している国は、アジアでは今や中国をはじめ広がりつつある。1960年代初めに先頭を切って減り始めた日本でさえ、30余年を経過した今日でも減少の傾向は止まってはいない。

[*この論文の邦文訳「アジアでは米は劣等財となりつつあるか?」は農林水産省の『食糧管理月報』の1994年9月号及び11月号で発表された。]

 アジア諸国では一人当たりの購買力が増大するに従って、一人当たりのコメ消費量は初めは増加するがやがて頂点に達し、その後は減少へと進む。先のItoらが1985年までのデーターをもとに分析した当時の段階では減少の段階に突入している国々は、日本、台湾、マレーシア、シンガポール、そしてコメの最大輸出国であるタイであった。ところが現在では中国、韓国、スリランカが加わり、それにインドでも近年はその兆候が現れている。中国は人口12億、世界最大のコメ消費国であり、かつ人口増も国民総数からみると著しい。しかし1990年代に入って一人当たりの消費量が落ち込んでいるために全体の消費量も1980年代半ば以降は僅かずつしか伸びてはいない。この調子で続くと全体の消費量が減少する可能性も否定できない。そして世界第2位、8億の人口を誇るインドもまた、この10年間は一人当たりのコメ消費量が減少の傾向となっている。この傾向がこのまま続くと、いずれアジア全域の消費量も減少ということになりかねない。世界の人口の4割近くを占めるこの2大国は世界のコメ消費の半分以上(1999年で約55%)を占めているわけであるが、この2大国においてコメの消費量が減少し始めると、世界の他の地域で需要が拡大しない限りコメの国際価格は雪崩のように崩れ落ちていくだろう。そうなるとコメの生産者にとっては国を問わずこれまで以上の危機に直面することになる。すでに近年のコメ価格の低迷はアジアのこうしたコメ消費減退の影響を少なからず受けたものと考えられる。

なぜ、コメ消費がアジアでは減っていくのか?それには多くの理由があろうが、その一つに戦後一貫して経済の先進国が欧米諸国であったため、その影響でアジアの食生活が洋風化しつつあることが指摘できるのではなかろうか。発展途上国に住む人はその多くが先進国の生活にあこがれる。日本も戦後は特にその傾向が強かった。そして、欧米の文化を食文化も含めて大いに取り入れた。そして、今や先進国になった。アジアの他の国々も発展レベルの差こそあれ日本の状況と非常によく似ている。こうした状況は世界の情報技術が発展し、欧米の情報がアジアで報道されればされるほど益々強くなっていくだろう。だからアジアのコメ消費減退の傾向はそう簡単には改善できない。日本も過去30年にわたって全国の自治体や農協を中心に、コメの消費減退の改善をまさに国を上げて努力してきているのだが、流れを変えるだけの大きな決め手はまだない。

 ところで、同じ穀物でもコムギの消費はどうなっているのであろうか。日本でも食事の洋風化が始まって久しい。ごはん食からパン食への変化も著しい。麺類の消費が増えたことも注目に値する。一人当たりのコムギ消費量の変化を表1でみると、1988年と1998年との比較では、アジアで消費量が減っているのは中国、バングラデシュ、それにブータンだけである。その他のアジア諸国はすべて増加している。そのような国々は熱帯地域も温帯地域も地域に関係なく増えている。皮肉なことに主要なコメ生産地であるアジアで一人当たりのコメ消費量が減少しつつある中、コムギの生産・輸出国である欧米において、一人当たりコムギ消費量は伸びている。コメ対コムギでみると戦後、世界の市場でコムギがコメに勝っているといえそうである。

 アジアのコメとコムギの状況について、両者を比較しながらもっと詳しくみてみると、アジアのコムギ消費量は1961〜65年の5年間の平均が全体で5,550万トンであった。その時コメが1億4,900万トン(精米換算)であった(表2及び図1)。コムギは1976〜80年に倍増し、また、1996〜2000年までに2億3,300万トンへと、再び倍増した。つまり、40年間で4倍に増えていることになる。一方、コメは増大してはいるもののその勢いは鈍く、1996〜2000年でようやく3億4,600万トンに達し、この40年間でわずかに2倍余りにしか増えていない状態である(図2)。これをコメ対コムギの消費量のシェアでみると、両者を合わせた合計量に対し、1961〜65年ではコムギは27.2%と3割にさえ達していなかった。ところがそれが拡大し、1991〜95年では39.8%に達し、その後も勢いは止まらず1996〜2000年の5年間で40.2%と、4割の横台を突破した(図3)。この傾向が進むとコムギが50%を越え、アジアの主食はもはやコメではなく“コムギの時代”を迎えることになる。こうした中で、コムギの消費の増加に生産量は追いついていけず、その結果としてアジア地域におけるコムギの輸入量は1990年代の半ばまで大きく増加している(近年5ヵ年ではその勢いは止まったかのようにみえるが予断は許されない)。それでも人口増によりコメの全消費量がわずかながらでも増えるのであればまだよい方だが、日本、台湾、韓国をはじめマレーシアやタイでも見え隠れしているように、全体の消費量が減少するという状況が一刻一刻と迫っているのである。

 消費量が減るということは生産量も減るということである。アジアのコメ消費量は世界の消費量の9割弱を占めているが、このアジアで消費量が減るとなると他の地域でコメの消費量が増大しない限りアジアのコメ生産量は減らざるを得ない。ちなみにアジアのコメ生産は現在は世界の9割強を占めている。

 次に価格はどうか。生産量は減ったとしてもその分だけ価格が高くなれば生産者はかえって潤うことになるのではないか−とも考えられる。しかし、近年はコメの下落の方がコムギより大きい。もちろん価格の下落に伴って飼料用としてのコメ消費も増加してくるだろうが、飼料用としての需要では、価格は食料用に比べ格段に安い。

 

テキスト ボックス: 表2  アジアにおけるコメとコムギの生産量及び消費量の変化         
(1961〜2000年の各5年間ごとの平均)
 

 

 

1,000トン)

 

 


 


 

 


 


このような状況をただ成るにまかせておくとどういうことになるか。まず、生産者のコメに対する生産意欲がなくなり、生産量そのものが減少していくことになろう。そして、発展途上国の多いアジアでは、生産調整が消費減退に追いついていけず、過剰気味で推移し、市場価格は低迷していく。そうなるとアジアの水田が他の作物の生産に有効に変わっていけばよいが、必ずしもそううまくは推移しない。これは日本だけでなくタイなどの発展途上国でも同じである。よって農業所得、及び農業資産がアジア全体で減少していくことになる。アジアはモンスーンの地域が多く、それだけに水田作に適している地域が多い。アジアでもコムギの生産は伸びてはいるが、気温が高く雨の多いアジアモンスーン地域で良質のコムギを栽培するにはおのずと限界がある(Fischer,1991)。

 農業所得や農業資産額の減少は農家の倒産、農産業の縮小につながってくる。農産業は各国にとって重要な産業であり、アジア諸国において多くの人々の労働の場であり、また、食料安定供給の面からも極めて重要な産業である。そして、米国が重要な輸出産業として農業を確保していることからもうかがえるように貴重な輸出産業として力を発揮でき得る産業でもある。そのような可能性を秘めながら、アジアのコメはこのままでは斜陽の道をひたむきに進んでいる。

 それではこの傾向をそのまま放っておいてよいのか。アジアの各国はもし農業をしっかりと支えていこうとするのであればこのコメ問題をアジア全体の農業問題としてとらえ、各国が互いに協力して、今、全世界におけるコメ消費拡大に対し真剣に対策を練る必要があるだろう。

 

3 世界コメ、コムギ、コーンによる三つ巴戦

コメは東洋、コムギは西洋、と区分けすると少し極端かもしれない。しかし、コメとコムギは競合食物である。日本の食生活をみても戦後はコムギの消費が増加し、西洋化した食事が多くなってきた。その分、コメは少なくなっている。もちろん、肉類やチーズなど、畜産物の摂取も多くなってきたわけだが、これはコムギと共に洋風の食事が広まってきたことが背景にある。そして、コーンは飼料となり「肉類」という形を変えた状態で食卓に上る。肉類の消費が増えればコメやコムギの消費は減る。まさにコメ、コムギ、コーンによる三つ巴戦の時代が来た。

 さて、戦後一貫してコメはコムギに対して後れをとってきたとみることが出来るだろう。それはコメの基盤であるアジアにおいてコムギ(洋食)の方に興味がわいてきたからである。ところが近年では東洋食ブームの広がりとともに状況が少し変わってきたとみてよいのではないだろうか。世界の一人当たり消費量をコメとコムギで比べてみたい。コメの一人当たり消費量は1960年代初頭の50kgから近年では65kgを上回るほどの伸びている。そして、その伸びは近年においても続いている。一方、コムギは1960年初頭の75kgから増加したが、1980年代から1990年において105kgくらいでピークに達し、その後の10年間は下降気味である。ちなみに2000年の見通しでは98kgに減少している。この10年間の伸び率を消費量の合計で比較してみると、コメが19%の伸び率に対しコムギは12%の伸びである。

 コムギは飼料としても利用され、世界全体では約6分の1が飼料に使われている。その飼料の消費も近年ではコーンに押し戻されて減少気味である。さらに、前述のようにコムギの統計はコメでいえば玄米の状態のものである。コムギは製粉して初めて食用となる。製粉すると4分の1目減りする。つまりコムギを統計上は100kg食べていたとしても実際は75kgしか食べていないのと同じである。よって、世界におけるコメとコムギの一人当たり消費量の差は実質的にはわずか10kgしかないということになる。

 

アメリカの寿司ブーム

 世界全体のコメの消費量は現在も上昇の基調にあり、その一人当たり消費量の増大はアメリカにおいて非常に顕著である。過去40年間におけるアメリカの一人当たり消費量は5kg以下から13kgを上回るほどの3倍近い伸びである。この10年間においても20%の伸びを示している。

こうした消費量の伸びの中でアメリカにおける近年の寿司ブームや日本食ブーム、東洋食ブームには目を見張るものがある。寿司レストランは今や小規模の地方都市にまで広がっている。一般的にこの寿司ブームは西洋の食生活からの反省の上に広がっているとみられる。アメリカの食事内容が脂肪や肉類に偏っていることは以前から指摘されているところで、その食事が原因で肥満となる。その結果、心臓病や高血圧など多くの病気を引き起こし、平均寿命も伸び悩む現実がある。こうした中、世界最高の長寿国である日本の食文化を背景として、寿司は東洋の食事を重視する中で注目されているわけである。東洋の食事と言えば当然ながらコメが主体となる。

 かつて、アメリカのコメ消費拡大はベトナム戦争後のアジアからの難民によって支えられてきた。しかし、難民問題が一段落した1990年代の後半には寿司ブームが起こり、その波は世界に広がりつつある。経済力で世界No.1のアメリカで流行するものはよく世界に広がる。コメが見直されているこのような現状においてコメの需要は大きくなり、それは価格の下落に歯止めをかけ、かつ価格の上昇に役立つこととなる。近年の世界のコメ消費量の上昇がコムギに比べて大きいことは、このような世界的な需要の拡大を反映していると考えられる。

コメはアジアにおいて世界の約9割を占める生産・消費が展開されている。ところが、アジアの一人当たりのコメ消費量は日本をはじめ、多くの国で下降線をたどっている。よって、コメ消費の将来への期待は悲観的なものが多かった。ここに来てアジア以外でコメの消費が増大しているという事実はコメを主産としているアジアの農業にとって意義深い。価格の低迷で採算が合わなければ生産農家は転作や作付け放棄で対応せざるを得ないが、需要の拡大で農家価格も上昇すれば(あるいは下落の幅が小さくなれば)生産者はコストを切り下げて生産拡大へと道をつなぐことが可能になってくる。

 実質価格でみた穀物の国際相場は過去40年間、下降気味に推移している。特に1970年代中期のオイルショックを経てからはその傾向が非常に強く現れている。このような価格の下落現象は今後も新たな供給サイドの技術革新によりさらに進むであろう。このような中で需要も減退すれば価格の暴落はもっとひどくなる。コメ、コムギ、コーンの中でどれが最も価格の下落が小さくて済むだろうか?コメを主要作物とするアジアにとってはコメの値下がりはできるだけ食い止めたい。

 

三つ巴戦は地域文化の競争

このコメ、コムギ、コーンによる三つ巴戦は単なる穀物間の競争ではない。それは国際地域間の競争であり、文化の競争である。コメの生産・消費を主体とするアジア、コムギのそれを主体とする欧米、そしてコーンを主体とする南北アメリカとアフリカ。それは雨が多く高温のアジアモンスーン地域のコメ、相対的に冷涼な欧米地域のコムギ、比較的に雨量が少なくても温暖な地域のコーンとも言い直せる。もちろん中国のように一国でこれら三つの品目のいずれもかなりの生産量を誇る、という国もある。また、アジア以外の多くの国では一般的にコムギとコーンの両方を生産している。しかし、鳥瞰図的にみればこの三つの穀物は先の三地域に分けられるのではないだろうか。そこにはそれぞれの穀物に対する生産面での地理的有利性がある。それは水と気温からみた気象条件であり、肥沃度や起伏などの土地条件である。そして、何よりも歴史的に培われた生産者の技術がある。このような条件がそろい、それぞれの地域はそれぞれの穀物を生産する有利性がある。

よって、これまで培われた品目を増産することの方がその地域にとっては相対的に容易であり生産コストも安いことになる。ところが、市場低迷のために生産品目を変更しなければならないとなると、一部の生産者には簡単なことであっても全体的には種子確保や生産技術、流通の面で対応するのは困難であり、それだけにコストもかかる。だからこそ、それぞれの生産地域は自分たちの有利性を生かした品目の増産のために、その品目の需要があるかどうかが決定的な条件となるわけである。その品目の需要が減退すれば生産拡大の芽も摘まれることになる。こうして、各品目の生産地域にとっては生産コストの削減だけでなく消費拡大の活動も含めた努力が重要になってくるわけである。

食べ物と文化は関連性が高く、各地域に固有の食文化が存在する所以である。ある食文化が新たな地域で受け入れられるとその食文化に関連する食べ物の消費が増える。ひいてはその食文化の発祥地域の農産業を発展させることにつながる。それだけではない。食文化を通じてその地域も関心を持たれることになり、他の地域からその地域に対して敬意を伴った興味が持たれ、人的交流、経済交流へと、その地域が発展する新たな基盤ができる。そうして、農産業だけでなく他産業もより大きな発展への機会を得ることになる。

そういう観点からみて、アジアのコメや食文化はこの40〜50年間はどうだったであろうか。日本の敗戦と荒廃の中、西洋文化と洋食化へのあこがれで、アジアのコメは相当な発展はしながらも洋食化の流れであるコムギに押されてきたことは否めない。アジアにおける消費量の伸び率からみても、コムギの方が遙かに伸び率は高い。このままでいけばアジアのコメはその主食の座をコムギに譲ることになりそうである。そして、世界的にもコムギが主流となりかねない。

その一方で、コーンを飼料とした肉類の生産が増大して結果的に消費が増大すればコメ、コムギの消費は共に抑えられる。これも闘いである。このような競争の中で、コメの主産地域であるアジアはどう取り組むのか。

興味深いことに現在のところ、コメ、コムギ、コーンのそれぞれの生産量は世界合計でほぼ同じである。コムギとコーンはそれぞれ約6億トン。コメは精米で4億トンだが、これはコムギ6億トンを製粉したときの量とあまり差がない(コムギは製粉されると約25%が目減りする)。コーンも人の食用にするとそのような目減りが考えられる。よって、これら三つの品目の生産量・消費量はほぼ同じとみたい。1960年代当初から後れをとっていたコメは、その後この10年間にコムギが伸び悩む中でかなり後れを取り戻している。

これから先の闘いはどうなるか。それはアジアの農業と食文化を賭けた闘いとなる。コメが生きるようであればアジアの農業も望みをつなぐことが可能であろうし、そうでなければ後退となる。いま、アメリカでの寿司ブームや日本食・東洋食ブームはアジアの農業に対する大きな追い風である。この世界の流れをうまく生かすことがアジアの農業の課題である。

 

(本稿は拙著「世界の穀物統計」全国食糧振興会叢書No.49の第4章を加筆修正したものである。)