−−−エッセイ−−−
灼熱のアリゾナ砂漠のコメ調査
鳥取大学農学部 笠原浩三
▲海外旅行での貴重な体験
ここ4〜5年コメ、青果物調査などで度々海外に出掛ける機会に恵まれ、海外旅行の貴重な体験を得たのでその一端をお話ししたい。特に、昨年夏に米国はカリフォルニアからアリゾナにかけてコメ流通・市場価格調査の機会を得た。アリゾナは45〜46℃という猛烈に暑いところと事前情報を得ており、万全の対策で出掛けた。まず温湿度計を準備した。温度計は60℃まで計測可能で、湿度計はこれに連動しており、乾湿度の格差を換算して計測するものであった。また、アリゾナは高温に恵まれ美味しい果物も沢山生産されていると聞いていた。特にスイカは15〜16度の糖度を誇り、日本では通常考えられない甘いスイカのあることも聞いていた(日本ではせいぜい12度前後どまり)。そんなことで糖度計、酸度計も持参した。
▲ロスアンゼルス・ダウンタウンのリトル東京
ロスアンゼルス国際空港に降り立ち、直ちに予約をしていたレンタカーを借り上げ、ダウンタウンのリトル東京に隣接している「ミヤコインホテル」に向かった。ここのホテルを予約していたのには理由があった。1つは以前に利用していたこともあり地理感があったこと。2つにはリトル東京に隣接していることから各種の日本料理店があったこと。さらに何と言ってもジャポニカ米のおかれているヤオハン店が比較的近くにあったことである。
早速、火の見櫓のあるリトル東京に足を運び、思い出のソーラン節の流れる「追分」という名のレストランに入った。以前に利用したときには寿司のバフェット・メニューがあったが、ネタだけを食べて、シャリの方は粗末にされていたことが気になっていたが、やはり、今回はそのメニューはなくなっていた。代わって、ランチ・バフェットで遅い昼食となった。
▲安全な日本型の上に伸びたタイプのホテルを予約
ホテルの予約については色々な方法がある。大きく分けて旅行代理店を通じて予約を取る方法と,自分自身で予約を入れる方法とがある。米国ではホテルの系列化が進んでおり,全米を網羅した系列店は冊子にまとめられていることが多い。機会があれば、各系列ホテルの各種冊子を持ち帰っておくと後々までも有効に利用できる。各系列のホテルにはフリーダイヤルで予約が可能で,研究室に居ながらにして予約ができるのである。また,ホテルリストにはシーズンによる料金内容,各種の宿泊条件などがきちんと記載されている。何といってもホテル所在地が記載されていて,周辺道路事情が事細かに説明されているため,レンタカーなどを利用してホテルに向かう場合には極めて好都合である。事前の走行コースのイメージ作りにも極めて効果的である。
米国内のホテルチェーン店は幾種類もあり,中でもお勧め系列ホテルは「Hampton Inn(ハンプトン・イン)」である。全米中に1,000店を超えるチェーン店を有しており,ベッドサイズがダブルサイズでツインが標準スタイルであり,ルームチャージであるから何人泊まっても同じ料金である,家族での宿泊に最適と言えよう。またこのホテルには,ブレック・ファーストがついていて,飲み物,果物,各種パン類などふんだんに様々なものが無料でサービスされる。料金も格安であるが,最大のメリットは,平屋建てではなく,日本のホテルのように上に伸びた高層ホテルになっていることである。これは何でもないようであるが,通常のモーテル形式のホテルでは平屋が主流であり,これでは大変に物騒なのである。何時窓から賊が侵入しないとも限らないことを考えればおちおち安心して眠てもいられない。この点日本式に上に伸びた建物の場合には,2階以上になれば事故防止の点で極めて効果的で、安心感は相当に違ってくると言うものである。
▲グリーン・トレード・カラーのヤオハン店は見つけられず
ホテルの受付から周辺の載った地図を入手し、所在を確認しながら早速ヤオハン店に向かった。ポイントはグリーンの色をした独特の建物であったから容易に見つけることができると考えていた…が、なかなか探し出すことができずその界隈を何度か行き来した。
漸く、ヤオハン店が経営に行き詰まり経営者が変わったことに気がついて、「YAOHAN」から「MITUWA」に書き換えられていた看板を確認、ポイントのグリーン色も他の色に塗り替えられていた。中のレイアウトは以前とほとんど変化が無く、ジャポニカ米の販売要領もほとんど同じスタイルであった。ただ、惣菜コーナーに並ぶカリフォルニア巻きを初めとする各種ののり巻き寿司が目に付いた。
遠くロンドンにも回転寿司が6店ほど開店したと聞いている。ジャポニカ米で作った日本古来の寿司料理が国際的に浸透しつつある実感を得た。
▲35マイル一直線道路をひた走る
いよいよカリフォルニアを後にして灼熱のアリゾナに向かうこととなった。早朝ホテルを出て国道10号線に乗ってまずはフラッグスタッフを目指した。フラッグスタッフは標高もありそれほど猛暑を感じさせなかった。しかし地形は北アメリカ西部を縦断するロッキー山脈の南端に位置し、険しい岩並みと草木も避ける茶色の不毛の平原が続く。車は快調で、正しく35マイルの一直線が続く高速道路をものともせずひたすら走った。研究室から予約をとったハンプトン・インはイメージ通りの日本式に上に伸びた安全なホテルであったが、しかし、それは旧西部開拓時代に活躍した鉄道路線のすぐ傍にあって、夜半過ぎから明け方にかけ独特の汽笛に何度か目を覚まさせられることになった。
▲灼熱の暑さに遂に温度計が破壊
フラッグスタッフから26号線を南に下っていくと、ほとんど樹木の生えていない茫漠とした砂利砂漠の中に、ポツンポツンと見慣れない植物が目に入ってくる。やがてその大きさと密度が増してくると、それが紛れもなくアリゾナ砂漠のサボテンであることに気がつく。さらに南下すると州都フェニックスに入る。フェニックスは再編整備計画が進み米国内でも近代化が進んだ整然とした都市である。州議会堂前には手入れの行き届いた立派なサボテンが人目を引く。ポリスが目を見張らしており、駐車場に入った車はきちんと来客用の駐車場に止めてあるかどうか1台々確認にくる律儀さである。持ち歩いていた温度計で外気を確認すると軽く50度近くを示していた。湿度は乾湿度格差によって換算するものであったが、計測可能な温度格差は15度までで、実際の格差はそれを遥かに上回る25度以上であったため格差を換算することはできず、湿度の計測は困難となった。つまり日本製の湿度計ではアリゾナの1桁に近い湿度を計測することはできなかったのである。
翌日、量販店を捜し求めてジャポニカ米の市場価格の調査に出掛けた。ホテルで得た情報を手がかりにスーパーマーケットを見つけ出し、早速店内に向かった。車内はクーラーを強く利かせていたためにさほど外気の猛暑に気がつかなかったが、車外に出てその猛烈な暑さに改めて驚いた。店内でジャポニカ米の価格調査を終え、再び車に戻って驚いた。うっかり車内に置き忘れてしまっていた温度計の水銀柱が60度の最高温度まで振り切れており、哀れにも赤い水銀を流し破壊されていた。以降、温度湿度共に計測不可能に陥ってしまった。
▲都市部の銀行でも両替が困難
海外旅行では日本円を現地通貨に両替することが必要で、これ又厄介なことの1つとなる。ことが現金なだけに損得が直に響いてくるようだ。
現金そのものを携えていく方法は堅実な一面もあるが、しかし、何といっても盗難,紛失の危険にさらされる。そして何れは現地通貨に両替をしなければならないのである。その両替が眉唾であるから注意が肝要である。アリゾナで、銀行に行けばいつでも両替ができると思っていたが,そうではない。ドル紙幣が残り少なくなっていたが,隣のアリゾナ第2の都市ツーソンに調査があり,必要ならばそこで両替するつもりで,車で向かった。ところがである,ツーソンの銀行に足を運んだがどこも日本円は扱っていないと言うことであった。さあ困った,食事代もほとんどなく,ガソリンも残り少なくなってしまった。懐にはたんまり日本円があるのだが…,それが今となっては役に立たない。それでも微かな望みをつなぎ最後の銀行に向かった。やはり日本円は扱っていないと言うことである…が,泣きついてみるものである。銀行ではないが宝石店があってそこで日本円が両替できるかも知れないと言うことであった。いうなれば闇両替所である。その情報を銀行で得たのであるから皮肉である。幸いそれほど悪い交換レートでなかったので急場を凌ぐことができた。
▲柳の下の鰌を狙うが、…。
オーバーブッキングとは航空会社が定員席より多く予約を取ることである。当然搭乗できないお客さんが出てくることになる。航空会社は当日のキャンセルが出ることを見越しての措置であろうが,お客さんは困る。最近はどこの航空会社ともオーバーブッキングを控えているようであるが,ある時にはあるものである。筆者が一昨年(平成11年)ニューヨークからシアトル経由で関空に帰る時のことである。シアトル空港は大きく,急いで関空行きのチェツキングカウンターに向かったが,オーバーブッキングのため暫く待たされることになった。一瞬翌日のスケジュールを思い浮かべたが、どうしても予定通りその日の内に帰らなければならなかった。暫くして案内が入った。「5名ほどのオーバーブッキングのため,出発を明日に延ばしても差し支えのない方がおられませんか」、「出発を1日延ばしていただいた方には,ホテル代金,ホテルまでの移動,食事代を全て航空会社が負担いたします」と言うものである。さらに「向こう1年以内に当航空便を利用の場合には日本円で10万円を補助します」と言う日本語のアナウンスがあった。素晴らしい条件である。多分そのような条件で出発を1日順延したお客さんがいたのであろう。我々は何ごともなく予定のフライトで帰国した。しかもファースト・クラスの席であった。ファースト・クラスは席自体がやや大きくゆったりしていて,各席毎にテレビも付いていてサービスも良い。後にも先にもファースト・クラスに乗ったのはその時限りであった。…今回はフェニックスでレンタカーを返却し、シアトル経由で関空に戻ることになっていたが、一昨年のシアトル経由でのオーバーブッキングのことが頭にあり、今回はむしろオーバーブッキングを期待し,日程に余裕を持って空港へ向かった。しかし今回のシアトル経由では何事も起きずに平凡に予定通りのスケジュールで帰国した。柳の下にはいつも鰌がいるとは限らなかった。