世界最北限の稲作地帯、ロシア、ウクライナにおける
イネ生産力と今後の生産地としての将来性
島根大学生物資源科学部農業生産学科 小葉田 亨
はじめに
世界の稲作は中国南部の山岳地帯あるいは揚子江下流域などの低緯度地帯から発祥したと考えられている(渡部 1967、片山 1990)。しかし、現在イネは熱帯アジアから温帯に広く分布している。日本は稲作栽培地域でも北に位置する。明治以降、日本列島の北限である北海道で農民、農学研究者の努力によってイネが徐々に北上し、ほぼ全道に栽培が拡大していった経過はイネの高い環境適応性を示すものである(櫛渕 1990)。このようにイネは温暖な気候地域を起源として、持続性と生産性、嗜好性の高い作物として世界の食糧供給に貢献してきた。
ロシアおよびウクライナ共和国の稲作地帯はいずれも緯度45度以上の北海道北部から樺太に相当するかなり高緯度に位置する。その多くが今世紀に入ってから稲作が開始されたもので栽培は歴史的に古いものではない。一方、緯度が近い中国東北部では近年活発に稲作が試みられており、ロシアとウクライナが将来的に稲作地帯として発展しうる可能性を示唆している。今回、本プロジェクトと調査を行ったのは、ロシア共和国の極東地域とシベリア東南部、黒海東部のコ−カサス地方、ウクライナ共和国の黒海北岸地域である(第1図)。これらの地帯には大きく3つの生産制限要因が有ると考えられた。一つは高緯度地帯に位置することによる栽培期間の気温である。次にかんがい水と設備である。3つ目は栽培のための生産資材投入のポテンシャルである。本報告はこの3つの点について、収集できたデ−タにもとづいて解説を試み、将来の稲作生産の可能性について考察しようとしたものである。
1.
栽培期間の気温
ロシア共和国では、極東地域のウラジオストック近郊のハンカ湖畔と黒海東方に位置するコ−カサス地方のグラスノダ−スとロフトスで稲作が行われている。また、今世紀前半の数年間ハバロフスク西方のシベリア東南部の中国とロシア国境沿いに流れるアム−ル川北岸のユダヤ人自治区で稲作が行われていた。
稲作期間の月別平均気温は西南暖地に位置する松江に比べ、いずれの地域も下回っている(第2図)。しかし、実用的な日本の稲作北限に近い札幌に比べ、アム−ル川北岸、クラスノダ−ル、ロフトスは4、9、10月を除いて夏期はむしろ高い。極東のハンカ湖に近いウラジオストックは夏期も札幌よりも低いが、ウラジオストックは海岸部にあるので内陸部のハンカ湖周辺はもっと気温が高いと推察される。極東のアム−ル川北岸、かって稲作が行われたことのあるユダヤ人自治区近郊の3地点におけるの月別最高最低温度を見ると、その温度域は4月と9月以降を除き松江より低いものの札幌とほぼ等しい(第3図)。
ウクライナ共和国では、黒海北岸のスカドフスキ−の平均気温は5から7月までは松江とほぼ等しくその後低くなったものの、それでも札幌よりも高かった(第4図)。また、最高と最低気温の格差が極めて大きく、最高気温はしばしば30度を超えている。
このように、ロシアとウクライナの稲作地帯は緯度的には日本の稲作北限よりもかなり北に位置しても、内陸にあることからか特に6から7月にかけてかなりの高温となることがわかった。しかし、春先は気温が低くまた秋の低温が早く来る。作付けされているイネの生育期間は110から130日と短く、かつ直まきであることから低温発芽性に優れることが栽培の必要条件である。植付けは直まき後直ちに水を入れることから品種特性として特に重要であるとされる。一方、7月の気温が高くいわゆる穂孕み期における障害型冷害(西山 1985)の発生はあまりなく耐冷性として重要視されていない。ロシアではリマン、レグ−、ラパン、ウクライナではスパルチスなどと呼ばれる品種があり、韓国、イタリア、ハンガリ−由来の品種とされている。ソビエト崩壊前はコ−カサス地方とウクライナ地方は類似した品種を使っていたが、ウクライナでは徐々に自前の品種に変えたいとしている。全体にジャポニカタイプで穂に大変密に籾が付く品種が望ましいとされている。
2.
かんがい水
ロシア共和国の極東地域ではハンカ湖沿岸では水の供給源は十分あると見なされた。しかし、湖水をポンプアップする必要があるのでポンプの維持管理がネックとなっている。かって稲作が行われたことのあるアム−ル川北岸は至る所に湿地が広がり稲作にはかんがい水の不足よりもむしろ過剰な地下水位の適切な管理が必要なように見受けられた。一方、ロシア共和国のコ−カサス地方とウクライナ共和国の黒海北岸では、年間降雨量が500mm以下であるのに対して、稲作は作期中2000から1200mmを必要とするので河川からのかんがいが必要とされる。コ−カサス地方ではクバン川、ドン川、ウクライナではドニエプル川からの用水路が引かれ潅漑されている。しかし、漏水が多く必ずしもかんがい水が有効に利用されていないようである。かんがい水の不足は輪作体系がとられる理由の一つになっているようである。通常、8年を一単位として、イネ−イネ−ソバ−オオムギ−イネ−イネ−アルファルファ−アルファルファなどの作付けが行われ、稲作を3年以上続けることはないとされる。イネの連作は雑草の発生、土壌肥沃度の低下をもたらすとされる。また、これらの地域は、かって地下水位が高かったりウクライナのように塩類集積土壌によって作物の栽培が全くなされていなかった。そして、革命後イネを作付けすることで作物生産を上げることができた。すなわち、イネは高い地下水位でも栽培でき、除塩のできる作物として導入された。従って、基本的にイネ単作の志向は本来の目的から言えば高くないと見られた。
ロシアとウクライナ共和国の特に黒海周辺部では潤沢ではない。そのため、かんがい施設の整備が必要で、維持管理のための経済的投資が必要である。以上から極東以外ではかんがい水の不足が生産限定要因になっていると考えられた。
3.生産資材
イネの生産は施肥と病害虫防除、除草管理によって大きく影響を受ける(Yoshida 1981)。特に窒素を中心とする施肥と除草管理は、ロシアとウクライナでの稲作にとって極めて重要な生産限定要因となっている。それぞれの地域で最適と見なされている施肥体系は基肥中心で初期生育を促進することを主眼としている。しかし、ソビエト崩壊以降、生産、流通システムが機能しなくなり肥料購入ができないためほとんどそれらの施肥管理を維持することができていない。また、直まきの栽培体系では除草が特に重要であるのに現実にはほとんど無肥料、無除草で栽培されていることが多いようである。水田によっては雑草の中にイネがあるということも見られた。ただし、一部の種子販売をしている収入の高い生産企業や試験研究期間では施肥が行われている。
農業機械の老朽化も著しく、古い大型機械の部品を修理し融通し合って使っているところが多い。また、機械の性能が低く、刈取りにともなう子実の損失がかなりあるようである。作付けの拡大や管理が機械と燃料の不足によって制限を受けている。
このように現状ではいずれの地域でも、生産資材のための投資が行えないので例え収入が見込めても生産拡大が不可能になっている。
まとめ
ロシアとウクライナの稲作は自然条件特に春と秋の低温の克服が栽培管理上重要な限定要因となっている。しかし、稲作地帯は緯度から受ける印象よりも夏期の気温は高く品種を選べば生産ポテンシャルは低くないと見なされた。特に、極東地域ではかんがい水の制限がなく、品種の選択と農業資材の投入があれば今後生産拡大が可能であると考えられた。長期的な目で見れば将来の食糧供給地帯としての可能性を秘めていると言えよう。社会制度の崩壊によって多くの人々は収入の道を絶たれ広大な土地が利用できずに放置されているのが現状である。
引用文献
1.
片山 平 1990. 第1節 イネの起源と分化。松尾孝嶺 編、稲学大成、遺伝編、41-56.
2.
櫛渕欽也 1990. 第2節 栽培環境と生態型の分布。松尾孝嶺 編、稲学大成、遺伝編、664-669.
3.
西山岩男 1985. イネの冷害生理学。北大図書刊行会、札幌。
4.
渡部忠世 1967. 稲の道、NHKブックス523, 日本放送出版協会、東京、1-266.
5.
Yosida, S. 1981. Fundamentals of Rice Crop Science. IRRI, Los Baňos, 1-269.
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