ベトナムの米輸出におけるジャポニカ米の位置


佐藤朋久*・冬木勝仁**
(*日本学術振興会特別研究員
**東北大学大学院農学研究科助教授
1.はじめに

 ベトナムの米輸出は1989年に本格的に復活してから200万t程度で安定してきたが、96 年以降急増し400万t近くにまで達した。これと並行して指定輸出業者も増加しており、 ベトナムにおける米輸出ビジネスは加熱の様相を呈していることが推察される。ベトナム は米の国内需給及び価格を主に輸出を調整することで管理しており、ベトナム政府の輸出 方針はもともと規制的であった。それが現段階では規制緩和の方向に踏み出しており、外 国企業に対する対応も柔軟になってきている。そこで、まず最初にベトナムにおける米輸 出規制と輸出業者の動向について検討する

2.ベトナムにおける米輸出規制と輸出業者
 ベトナムにおける米の輸出規制は直接数量規制、税による間接輸出規制及び輸出業者の規制からなっており、以下では簡単にその内容を紹介する。

 

1)輸出クウォータ(輸出割当)と輸出税
 一般に、政策的に輸出量を管理する方法には、輸出クウォータの設定による直接規制と 輸出税の税率調整による間接的規制がある。これまでベトナム政府はこの両者を組み合わ せて輸出量の管理を行ってきた。輸出クウォータの総量はほぼ実際の輸出量と同等になる ことから、輸出量の拡大はそのままクウォータの拡大であり、ベトナム政府の輸出拡大の 方針が伺える。
 一方、輸出税率は、輸出を本格的に開始した1989年段階では5%を課していたが、その 後1%に引き下げられ、国内の輸出圧力が高まった95年には一時的に3%に引き上げられた ことはあったが、96年半ばには再び1%に引き下げられ、その後輸出税は課せられなくな った。
 これまで補助的な輸出規制の方法として用いられてきた輸出税は事実上撤廃され、輸出 クウォータの総量拡大による輸出誘導のみが進行しているのが現状である。

                                      

2)輸出業者の規制
 ベトナムが輸出税の調整によってのみでは輸出量を管理できず、輸出クウォータの設定 により、輸出量を直接規制しなければならなかった最大の理由は、国内における輸出圧力 の大きさ、すなわち市場経済の導入に伴って、手近なビジネスとなる米輸出事業が加熱し やすいことにある。従って、米輸出ビジネス自体の規制、すなわち業者数の制限も行って いる。
 1989年以降これまでの間に、ベトナム政府は1993年と95年の二度にわたって輸出業者の絞り込みを行っている。いずれも北部での異常な米価高騰により、一時的に輸出を規制す る必要に迫られたためであるが、その後96年以降は輸出業者が拡大している。
 ベトナム国内の報道では、多数の業者が米輸出ビジネスに参入することにより、(1)食 糧流通の根幹を握る国家の機能が麻痺し、地域的に著しい価格不均衡が引き起こされるこ と、(2)外国バイヤーに対する個々の輸出業者の価格交渉力が相対的に弱まり、ベトナム 米の輸出価格が低下してしまうこと、などが指摘されており、ベトナム政府にとって輸出 業者の規制は、国内の安定という観点からも、輸出戦略という観点からも極めて重要であ った。
 ただし、現段階では米輸出ビジネスに、国内である程度蓄積された資本や外国資本を動 員するという観点から規制緩和が進められている状況であろう。

3)1996年以降における米輸出業者の変化
 1996年以降指定輸出業者は15社から32社(97年)、39社(98年)へと急増しており、一部は 外国企業との合弁会社もあるが、大部分はメコンデルタ各省の公社である。昨年12月に行 った現地企業へのインタビューでは、最近になって外国資本100%の企業も、指定輸出業 者となり、輸出クウォータが割り当てられるようになったということを聞き取ったが、政 府関係者から確認したわけではないので、今のところ輸出クウォータを有する公社と資本 、ノウハウ、輸出ルートを有する外国企業とが提携し、ベトナムの米輸出を拡大している のが現状であろう。

3.ベトナムの米輸出とジャポニカ米

 1)近年の米輸出の方向
 これまでのベトナムの農産物輸出は米に限らず、安価な労働力に基礎を置く低品質、低 価格農産物の輸出が中心であった。米については、低品質米市場においてタイ米に対して 価格競争力を有することで輸出を拡大してきたというのが実情であろう。
 しかし、近年は"high quality"農産物の輸出を政策的に打ち出している。この場合の"h igh quality"というのは同一の商品における品質向上(例えば、品種や精米技術の向上に よる低級米から高級米への格上げなど)に加え、加工を施したり、特徴を持った言わゆる 「差別化」による高付加価値商品を輸出することも含んでおり、その一環として、米につ いても香り米などの高付加価値米の輸出を視野に置いている。ジャポニカ米の生産・輸出 についても同様の位置づけである。
 この輸出戦略の背景は、東南アジアの通貨危機により、輸出で競合するタイ・バーツな どが急落する一方、為替管理下にあるベトナム・ドンが相対的に高値を維持したため、ベ トナムの価格競争力が低下したことである。1997年後半以降に低品質米市場ではタイ米と ベトナム米の価格の逆転現象も生じており、これまでのような価格面での優位性だけでは 輸出拡大につながらない。
 それ故、直接の関係者の思惑はともかく、ジャポニカ米の生産は、必ずしも日本という 特定の市場をターゲットにしたものではなく、価格競争力が低下した中での高付加価値農 産物輸出という方向の一環として考えうる。もちろん、直接的に生産・輸出に携わってい る関係者は、巨大な市場である日本を常に意識しているが、それが唯一ではない。将来的 な世界貿易体制の変化の中で、更に巨大な市場と化すであろう中国南部(WTO加盟を前提と して)や他のアジア地域も含めた全般的な(ただし極めてあいまいな)輸出戦略の一環とし て考える必要があろう。
 以上のような方向を進めるためには、前述したような状況(外国のバイヤーに対する価 格交渉力の欠如など)を打開する必要があり、そのためには世界市場におけるノウハウ、 需要動向、資本を有する外国企業をパートナーとして迎え入れる必要がある。
 外国資本100%の企業にも輸出クウォータが与えられるようになったらしいと前述した が、たとえそれが事実であったとしても、生産者との関係については制限があり、外国企 業としてもベトナム国内企業とりわけ公社との結び付きは不可欠である。そこで以下では 、外国企業とりわけ日本企業の動向について述べる。

2)ベトナムの米輸出における外国資本の動向
 日本における1993年の米の大凶作・米不足とそれに伴う緊急輸入は世界の米市場にも影 響を及ぼし、ある意味では米貿易ビジネスを活気づかせる要因にもなった。もちろん、そ の後のガット・ウルグアイ・ラウンド合意、WTO体制の発足に伴い、日本や韓国などの米 輸入が拡大するという予測もあった。
 ベトナムにおける米輸出ビジネスへの外国資本の本格的進出もこの時期(1994年)に相次 いで行われた。
 ベトナムにおける輸出米の生産及び精米を目的とし、最初に進出した外国企業は香港の ゴールデン・リソーシズ・デベロップメント・インターナショナル社である。同社は1994 年にメコンデルタの4省(ロンアン、ティエンザン、ドンタップ、アンザン)と合弁企業の 設立で合意し、3万ha規模の米栽培、年間9万tの能力の精米工場を建設した。
 また、ほぼ同時期にフランス資本のオルコ・インターナショナル社(シンガポール)がホ ーチミン市郊外のミトに合弁で、年間処理能力3万tのコメのパーボイルド加工用プラン ト(脱穀前に米を蒸してビタミンなどの保存状態を良好にする)を建設した。
 アメリカ資本もこの時期に進出している。アメリカン・ライス社(本社:ヒューストン) はベトナム国営企業と契約し(年間30万t)、ベトナム産米をアメリカに輸出し始めた。ア メリカ国内で販売するとともに、加工後に中南米、中近東へも販売した。ただし、この企 業は昨年閉鎖されており、同業他社によると、直接的には国際価格と国内価格の変動幅を 見誤ったためだが、より根本的には施設面で他社に劣り、集荷拠点が一カ所しかなく、国 内価格の変動に対応した柔軟な集荷方法が採れなかったためだ、ということである。
 以上の事例は、対象が短粒種に限られ、輸出先も日本を念頭に置いているわけではない 。日本との関わりが大きくなるのは、言うまでもなく、WTO体制が発足し、日本が米のミ ニマム・アクセス(MA)輸入を開始する1995年に入ってからである。そこで次に日本企業と ベトナム米輸出との関わりについて紹介する。

3)日本企業によるベトナム産ジャポニカ米の輸出
 日本企業とベトナム産米との関わりでとりわけ重要なのは、日本国内では主として加工 用等として用いられる短粒種ではなく、ジャポニカ米の輸出に関してである。
 1996年9月に浦和市に本社のある農産物商社エバートンのベトナム現地法人はハノイ近 郊で契約栽培したコシヒカリ玄米102tを木徳を通じて日本に輸出した。7月に行われた売 買同時入札(SBS)で木徳が落札したものであり、日本にとっては初めてのベトナム産ジャ ポニカ米の輸入となった。
 また、三井物産は前述した香港のゴールデン・リソーシズ・デベロップメント・インタ ーナショナル社や現地企業などと合弁でベトナム・リソーシズ・ライス・プロセシング・ インダストリー社を設立し、長粒種の香り米を中心にフル稼働で年間9万tの精米工場を 運営しており、今のところ東南アジア向けにほぼ全量を輸出しているが、将来的には日本 への輸出も念頭に置いている。
 ジャポニカ米の生産に関して比較的早くベトナムに進出した企業は木徳である。木徳は 1991年にアンジメックス社(アンザン省輸出入公社)との合弁でアンジメックス・キトク社 を設立し、コシヒカリ、はなの舞、ひとめぼれ、はえぬき等の日本の品種の試験栽培を開 始した96年には輸出の認可(5000t)を受け、認可の条件であった農民との委託生産契約、 精米工場の建設に着手した。97年には初めて玄米37t(日本の品種)をSBSで日本に輸出、 一般MAで5000tを輸出した。98年に輸出クウォータは2万5000tに拡大し、玄米300t(日 本の品種)をSBSで日本に輸出した。99年1月には精米工場(年間2万5000tの処理能力)の建 設が完了し、本格稼働に入っている。
 アンジメックス社側代表者へのインタビューによれば、合弁の契機は1989年にアンジメ ックス社が輸出クウォータを取得した際、木徳側としては米輸出の足掛かりを、アンジメ ックス社側としては木徳の販売ルートを目的とし、合意したとのことである。同じくイン タビューによれば、アンジメックス社側としては、(1)木徳が有する経験の蓄積、ノウハ ウにより、米の品質を向上させること、(2)木徳の協力により、顧客、とりわけ高品質米 の販売先(シンガポール、カナダ、ヨーロッパなど)を拡大すること、(3)近代的な精米工 場を建設するために必要な資本を確保すること、を期待している。
 木徳側のインタビューによれば、現在、契約生産している主力品種は試験栽培の結果、 最も適していたはなの舞であるが、単収についてはひとめぼれも同水準(5.5〜6t)であっ たことから、今後伸ばそうとしている。農民との契約内容は、栽培面積、種籾の量、種籾 の価格、買入価格(工場持ち込み)、品質(水分、破砕米比率など)である。最初に施肥や防 除の方法なども含めて技術指導を行うが、肥料、農薬代等は農民の負担である。ジャポニ カ米の総契約面積は1999年度で200ha、2000年度で400ha(契約済)、2001年度で600haを目 指している。最近では農民個人との契約に比べ、農民グループ(従来の合作社とは異なり 、自発的に組織された農民組合など)との契約が増えている。契約拡大の展望については 、はなの舞の買入価格が1kg当たり3200ドン(籾)で政府の最低保証価格1500ドン(精米)と 比べて破格の高値であるため、契約農民の拡大については楽観的である。また、契約の拡 大については政府の認可が必要であるが、現在では申請すれば殆ど認可されるということ であった


4.まとめにかえて
 ベトナムにおけるジャポニカ米は未だマイナーな存在である。しかしながら、(1)政府 の輸出戦略、(2)現地企業の思惑、(3)日本企業の活動、(4)農民の利益追求、などが絡み 合って、今後に生産・輸出が拡大する可能性は十分あると考えられよう。

(なお、本報告は「1.はじめに」、「2.ベトナムにおける米輸出規制と輸出業者」に ついては、佐藤が1999年4月に日本農業経済学会で報告し、その後に『1999年度日本農業 経済学会論文集』(1999年12月、pp.492-497)に掲載された「規制緩和下におけるベトナム 米輸出産業の構造変動と新たな問題」に冬木が加筆したものである。また、「3.ベトナ ムの米輸出とジャポニカ米」、「4.まとめにかえて」は昨年12月に行ったベトナム現地 でのヒアリング調査結果を基に冬木がまとめたものである。)



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最終更新日:2000年6月28日

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