第4章 世界のコメ需給の展望


4.1 国内、域内及び国際間の自由化に進む世界のコメ政策


国内自由化(効率化)で輸出競争力の強化を目指すアメリカ
−増産と価格低下の同時進行の可能性−

 アメリカの農政は1996年農業法で刷新されたがその内容をみると、1996年産から向こう7年間にわたってアメリカ農業の輸出競争力を強化しようとするねらいがみえてくる。その強化とはこれまでのマーケティング・ローンを軸にしながら、生産コストの高い農家には離農を勧め、その一方で生産コストの安い効率的な農家に生産を集中させる、というパターンになる。

 こうしたアメリカ農業の方向を定めるものとして、新農業法の中では次の3つの新しい部分を取りあげてみたい。第1に政府がこれまで音頭をとって実施していた減反政策を完全に廃止し、生産拡大を自由にしたこと、第2はこれまで市場価格の変動に応じて(市場価格が安いときは多目の補助金で高いときは少な目の補助金で)農家に支払っていた不足払いを廃止し、新農業法では市場価格の変動に関係なく一定の額を支払うという柔軟的生産契約払い(production flexibility contract payments)を導入し、補助金を計画的に削減する方向を打ち出したこと(これに伴い、1970年代に導入されたターゲット・プライス(目標価格)もなくなった)、第3はマーケティング・ローンなどの輸出拡大政策は維持したことの、3つの点が注目される(図4-1-1)。

 筆者らがアメリカのコメ生産を取りあげて供給曲線を分析した結果、図4-1-2にみるように、この30年間余に供給曲線が右方向に大きくシフトしていると推測された。供給曲線は単に右方向にシフトするだけでなく、その傾きも時と共によりフラットになっている。こうした供給曲線のシフトの原因は単収の増加や生産基盤の整備、農家の情報伝達技術の向上など、総合的な技術革新の結果と政策の変化によるものである。政策では、1990年農業法で導入されたフレックス(基本面積の15%に対しては不足払いは払わないが果樹と野菜を除き、何を作付けしてもよいとするもの)により、それぞれの作物の価格の変動に農家がより敏感に反応しやすくなった。このため、生産供給曲線は1991年産以降もそれまでに比べ、よりフラットになったものと推察される。

 このように供給曲線の傾きがよりフラットになると市場価格の変動幅はこれまでに比べ小さくなる。というのは需要曲線が何らかのショックでシフトしたとき新たな均衡点までの価格の動きは小さくなるからである(図4-1-3)。

 ところで1993年の日本の異常気象により日本は世界からコメ250万トン余を輸入する前代未聞の状況となったわけだが、コメの国際価格の動きを実質価格でみると、極めて小さな価格の上昇であった。それはとくに実質価格の動きを過去30年間にわたってみるとき自明のこととして浮かび上がってくる(図4-1-4)。この傾向はコムギやトウモロコシなど他の作物においても同様である。こうした近年における小幅な価格の変動は供給曲線の外側へのシフトがアメリカのみならず世界各国で発生していることを裏づけるものであろう。

 さて、新農業法はアメリカにおける農作物の供給にどのような変化をもたらすであろか。コメの場合、融資価格は最低でもモミ100ポンド当たり6ドル50セントと定められた。これは1990年農業法の内容を継続したかたちとなっている。これまでは目標価格(ターゲット・プライス)の10ドル71セントなるものがあり、この価格が生産農家への所得も考慮した再生産が可能な価格として、市場価格がこれを下回った場合に不足払いという制度のもとに補助金が支払われてきた。しかし、新農業法では目標価格と不足払い制度は廃止され、市場価格の変動には関係ない助成金(柔軟的生産契約払い)が支払われる。市場価格の変動に影響して支払われるのはマーケティング・ローンの融資不足払いだけである。

 農家は全く生産しなくても柔軟的生産契約払いはすでに決定している額のものがもらえる。このため生産農家が生産面積を決定する際にとりわけ注目するのは融資価格、限界費用(増産した場合の生産コスト)、そして市場価格の見通し、の3点であろう。この3つのキーポイントのメカニズムにより、農家は次の3つのグループに区分けされよう:

農家群 A: 予測の市場価格<限界費用>融資価格 ...生産縮小、農家によっては作付けゼロへ
農家群 B: 予測の市場価格>限界費用>融資価格 ...生産拡大へ
農家群 C: 限界費用<融資価格 ...........市場価格のレベルに関係なく生産拡大へ

 限界費用が6ドル50セントより高い農家はその年の市場価格が自分の限界費用より高くなると予想されない限り生産縮小するかまたは作付けしないことになる。これらがA群に属する農家である。逆に限界費用が現時点で6ドル50セントより低いC群に属する農家は市場価格が6ドル50セントを下回ると予想されても限界費用が徐々に上昇し、6ドル50セントに達するまでは生産を拡大することができる。マーケティング・ローンにより6ドル50セントのレベルが保証されているからである。さらに新農業法では契約されていない新たな農地(新たに開墾された農地など)で生産されたものもマーケティング・ローンの対象にするとうたっている。その中間にあるB群に属する農家は限界費用が融資価格より高いため、市場価格が少なくとも自分の限界費用より高くなると予想されれば生産を拡大することになる。

 このような条件下で想定されることは@効率の悪い農家は作付けをやめるか、または借り手があった場合は借地に出すA効率の良い農家は借地及び開墾により作付け面積を拡大するB単位面積エーカー当たり所得の多い作物は生産が相対的に拡大する---などが考えられる。経済力の豊かなアメリカでさえ非効率的農家も生産の仲間に入れるということはもはやしなくなったのである。たとえ発展国でも無限に予算があるわけではない。

 それでは、このような状況下では供給曲線はどのようにシフトするであろうか。まず、非効率的な農家の農地を効率的な農家が借地し、効率的な生産をその借地した農地でも行うとすると供給曲線は右側にシフトすることになる。それは単収の増加及び単位当たりのコスト・ダウンを意味するからである。そしてさらに農地には何を作付けしてもよいわけで、このため各作物間の市場価格の相対的な変化(1エーカー当たりの所得の変化)により、所得の高いものへと毎年、変化することになる。このことはすなわち価格の変動に生産農家がより強く反応するということであり、供給曲線がよりフラットになると推察される。そして、今後も農業生産に対する調査・研究は進められ、単収の増加も当然考えられよう。とくに新農業法においては味の良し悪しはマーケティング・ローンには直接は関係ないため、単収の増加は農家の戦略としても重要な課題となる。

 こうしてみると、第2章第4節の図2-4-3により過去30年間に供給曲線は右側に大きくシフトし、かつフラットになってきていると説いたわけであるが、この新農業法の導入により現在の供給曲線は向こう7年間にさらに右側に、かつさらにフラットになるのではないかと考えられよう。図4-1-4にそのことを示したが、1995年の供給曲線をSであるとすると、2002年までにS'へとシフトすると考えられる。

 新農業法が成立する前年の1995年産米は農家の市場価格は約9ドルで、生産量は570万トン(精米)であった。7年後の2002年までに供給曲線がS'にシフトしたとすると市場価格が仮に6ドル50セントを下回っていたとしてもqxの量が生産される事態が考えられる。つまり、価格の低迷と増産が同時進行する可能性がある。融資価格の6ドル50セントが保証されているわけだから、qxが最低生産量となる。このqxのレベルは供給曲線が右側に寄れば寄るほど大きな量となる(国際価格が6ドル50セントを下回れば下回るほど政府の補助金は増大するわけである。こうした状況はアメリカの政府にとっては補助金として支出が増えるという由々しき状況であるが、農家としては生産コストが6ドル50セント以下である限り増産していくことになろう。)融資不足払いは1人当たり7万5千ドルという制限はうたってはあるが、農家はその制限をくぐり抜けるべく対応は過去と同様にするであろう。よって、2002年におけるqxのレベルが570万トンより大きい事態が発生する可能性は大きいとみてよい。

 (ただ、1996年農業法では作目間の移動は自由なわけで、トウモロコシ・ダイズ・綿などの競合作物の価格がコメに比べ相対的に高くなれば、当然ながらそのような作物の作付けが増え、コメの生産量は減少するということになる。)

 コメの需給予測で知られるアーカンソー大学のE.J.ウェイルス教授らは、1996年2月に、新農業法案が成立し実施された場合はアメリカのコメ生産量はこれまでの史上最高だった1994年産(精米換算で665万トン)に対し、2002年までに25%減少するとの見通しを発表した。主な理由は高いレベルの市場価格は期待できず、逆に生産コストの高いテキサスで作付けの減少が顕著にみられ、また、その他の州でも効率の悪い農家が生産を控えると言うものであった。いわゆる前述のA群及びB群に属する農家が多いという想定である。確かにテキサス州は地下水汲み上げに関わる膨大なコストと販売戦略の不振により近年の生産面積、生産量共に減少している。

 しかし、アメリカのコメ生産は市場価格の変動に大きく左右される。1994年産が史上最高となったのもその前年の市場価格が高騰していたことが影響している。また、1994年産については減反率も0%、つまり、基本面積以上にはどの農家も作付けしてはいけないといった状態になっていた。そうした状況下でのこの増産であった。

 新農業法の下ではコメ生産に対しては作付け制限が全くないわけで、これは国内自由化である。そのことはコインの裏側からみれば非効率的農家の切り捨てを意味している。この国内の自由競争において勝ち目のない農家は前線から退くわけである。そして、残った効率の良い農家、つまり生産(限界)コストがモミ100ポンド当たり6ドル50セント以下の農家にはマーケティング・ローンという補助金で市場価格が低迷した際にはしっかりと保護するというかたちである。

発展途上国も自由化に進む

 発展途上の地域では代表格のアフリカ大陸は内戦と飢餓、そして人口増大のイメージが一般的に映る。しかし、その一方では政治的な安定を取り戻した国々が多く、そうした国々ではいま国内の農業生産においても大きな改革が進められている。コメの生産・流通においても改革の真っただ中にあり、今後、コメをとりまくアフリカの状況は大きく変化していくものと推察される。政治(治安)が安定している地域の中でも、潜在的な農地を多くかかえる西アフリカのコート・ジボアール(象牙海岸)、山間地に主な農地を持つマダガスカル、そして、砂漠に囲まれ、農地の拡大においてはおのずと限界を感じさせるエジプトの状況は現在及び将来のアフリカを推測するうえで重要な位置にあると考えられる。

 アフリカの各国で国内自由化を目指した改革が強力に進められているという状況はアフリカといえば内戦と飢餓のイメージを持つ日本人にとっては意外なことであり、アフリカに対する情報が日本では不足していることを痛感させられる。これらの国々では、これまで行われていた生産や流通に対する規制を廃止し、農家の自由な活動を奨励すると同時に補助金も少なくしていくという、世界の流れと同時に、財政に苦しむ政府にとっても必然的な措置として進められている。現に、アフリカの主要な国々ではこのような動きは80年代中期から進められ、現在においてはすでにその効果が表われつつある。
 アフリカは世界の流れである自由化の推進により、国際市場の変化に影響を受け、さらに生産の効率化の方向に動きつつある。世界の穀物価格が高いレベルで推移した1994年は、多くの国で生産面積が拡大しており、価格のメカニズムが働いていることを示唆している。

 このようにアフリカ地域で自由化が進み、ある一定の完成時にさしかかりつつある中、その影響を評価する目的で、米国のUSAID(米国海外援助局)、世界銀行、IFPRI(国際食料政策研究所)などがアフリカの各国で調査を行っている。すでにIFPRIからは仮報告がなされており、それによると社会全体にはプラスとの評価がなされている。

 それではアフリカの状況を少し詳しくみてみたい。

商業化が進む西アフリカ

 西アフリカの稲作の特徴としては過去30年間に単収の伸び率はほとんどなく、精米換算で1トンを下回る0.8から0.9トンという状況である。一方で、生産面積は拡大しており、この30年間余りに約2倍に増えている。西アフリカにおいて恵まれていることは未使用の土地がまだ多く点在していることである。水も比較的多く流れていることから、開発手段が確保されれば、水田面積の増加は期待が持てる。一説には約1千万haで水田への開発が可能と言われている。また、現在の低い単収も新しい技術の投入で今後増収させることは可能であろう。

 各国での国内自由化の推進は80年代中期に始まったが、ランドルフ( Randolph, 1994) は西アフリカ地域のコメの自由化度について分析している。彼は貿易も含めた国内自由化のレベルを0(完全統制)から9(完全自由化)までの10段階で表した。これによると収穫後のモミの市場の自由化度は改革前の80年代初頭のレベル4から改革後の90年代初頭には7.5レベルに上昇したと評価している。また、精米の市場も同じ期間に3から6へと上昇。さらに、肥料などのインプット市場も、低いながらも1から4へと上昇している。このように西アフリカ地域ではコメの自由化が急速に進んでいることを示している。そして、その中でもモーリタニア、マリ、ギニアの3カ国で自由化が最も進んでいると結んでいる。これらの国々においては生産面積もこの間に著しく伸び、西アフリカ全体の面積は250万haから400万haレベルへと大幅に増加し、また単収も伸びている(図4-1-5及び図4-1-6)。この急激な伸びには世界の農業データをつぶさにみている米国農務省もつい最近まで確認できず、1997年の後半になって1990年までさかのぼり、データを大きく修正したほどである。

 さらにランドルフ はマラウイでケース・スタディを行い、農業が商業化した場合の子供の栄養摂取状態について比較研究した。農業の商業化とは農産物の生産が自給的な段階から販売を視野に入れた生産が行われる状況のことをさしている。よって、販売から得られる収入が重要となり、結果的には収入の多い作物をより多く生産するという体制に進む。この中で、所得が変化しない状態を想定した場合は農業の商業化により、農家の子供の栄養摂取量はわずかに下がるが、これは殆ど無視できるほどのわずかの差である。しかし、注目すべきことは、農家が商業化することにより、所得が増大する。よって、子供の栄養摂取状況も良くなる、と結論づけていることである。このことは前出のフォンブラウンとケネディ(von Braun & Kennedy, 1994) が強調していることと合致する内容のものである。

 ただ、西アフリカ地域を全体的にみると、まだ完全に自由化されているというわけではないが、このような自由化の方向での政策の変換によって種々の新しい状況がみられる。マリ共和国ではかつての単一価格が自由化されたため、品質の違いによって価格も異なるという、品質重視型の価格形成がみられるようになった。この点ではマリは他の西アフリカ諸国に比べ進んでいる(Randolph, 1994)。

社会主義から自由主義へのマダガスカル

 マダガスカルはアフリカ南部の東沖に浮かぶ"小さな島"であるが、国土は日本の1.6倍である。山が多く、国土の約95%を占める。しかし、コメは主食で、稲作面積も120万haに及ぶ。マダガスカル政府は1972年から社会主義の体制を固め、欧米人を追放し、ソビエト寄りの政策を行ってきた。しかし、1980年代の中期になって、解放政策を打ち出し、1992年からは現在の自由化政策がとられている。現在は国内におけるコメの生産・流通は完全に自由化されている。輸入も関税がわずかにかけられるのみで、輸入量の制限はない。社会主義政策の時代には国が全量買い上げはしていたものの、農家への支払いが十分に行われないこともあり、農家の生産意欲は減退していった。自由化政策がとられはじめてからはコメの販売価格も上昇してはいる。ただ、物価指数も急激に上昇しており、まだまだ厳しいものがある。WTO(世界貿易機関)の協定により、かつて行っていた肥料に対する助成金も現在はない。このため、一戸当たりの稲作が20〜30アールと小規模で、かつ一区画の面積が小さいことも伴って生産コストは高く、輸入も制限されていないため、生産農家にとって楽観できない状況である。

 マダガスカルの平均単収は1ha当たり精米換算で1.3トンである。現地では肥料や農薬の使用はほぼ皆無で、水田でもモミで2.5トンというのが相場である。しかし、農家によっては新しい技術を導入し、稚苗移植を行い、また、肥料も投入して1ha当たりをモミで5〜6トンの収量をあげている。田植え後1カ月の稲をみてみると、分けつが良く、株間も広くとってあり、隣接する一般の水田の稲とは比較にならないほどの育ちぶりであった。このことから読みとれることは、そのような条件さえ整備されればマダガスカルのコメの収量はまだまだ増産の可能性が多く残されているということである。この栽培方法を現地では「SRI方式」と呼び、政府も普及に力を入れている。

 これらの条件はいずれも生産コスト及び収入に関係することであるが、コメの市場価格が上昇すればそのような問題点が解消に向かい、生産量が伸びる可能性のあることを物語っている。

規制主義から自由主義へ変わるエジプト

 エジプトの農業政策は1945年に食料の安定供給及び基本食料の自給達成を目指した法律第95号に遡ることができる。このような規制主義及び国家独専体制は1950年代の小農主義から強化されているが、その後も一連の政策や規制が打ち出され、消費者の保護は名目上、達成されてはいた。しかし、生産者にとっては資材に対する助成はあったものの、規制の重みで生産意欲がそがれる状況にあったのも確かである。その規制の主な柱は、政府が重要と認めた食料については政府が@生産及び流通について規制を行うA食料に携わる流通業者として許可される会社の数を規制するB加工量の最高限度枠を設定するC必要に応じて加工工場を国有化するD価格を設定する‐‐‐などである(Wailes et. al. 1996)。

 しかしながら、こうした規制主義の農業政策は1980年代になって少しずつ方向転換されるようになった。1991年の段階では完全に自由化され、農家の作付け、販売活動は自由になり、輸出入に対しても企業の自由参加となった。このため、コメ輸出においてはこれまでの国家貿易と並行して、民間貿易が目覚ましい活躍をみせている。政府の買い上げは量的規制が撤廃されると同時に買い付け価格は改善された。よって、現在は政府の買い付けは民間の流通業者と競争関係にある。1996年は民間企業の買い付けが活発化してきたため、政府の調達は目標が達成できない状況であった。コメの輸出は一時は完全に自由化されたが、現在では国内消費者への供給をまず確保するため、規制の措置がとられている。

 このような国内自由化によって消費者への配給制度も廃止された。また、肥料など資材に対する助成金もとり払われたわけで90年代に入って肥料の投入量は一時減少した (Wailes, et. al., 1996)。しかし、90年代半ばからは市場価格の上昇により生産は刺激され、単収は一気に上昇している(図4-1-6)。

 このような自由化に対する評価がエジプトの国内外で行われている。これまでのところ自由化の影響は全体的には肯定的である。例えば、流通段階においてマージンの率が低下し、競争力がついてきたこと、市場価格の変化に農家が対応しやすくなり、結果的に農家の所得を上昇させていることなどがあげられている。また、肥料供給の自由化によって民間の進出が著しく、規制時には民間の取扱量はゼロであったが1993年の段階では80%を占めるようになった(Ousmane, IFPRI, Research Brief 4)。

 ただ、農家に対する影響も5フェダン(約2ha)以上の規模の農家に対しては所得の増加につながっているが、それより小規模の農家に対してはあまり効果は表れていない。また、農業の単純作業労働者は実質労賃が下がっているためマイナスの効果が表れている。

 一方、消費者にとっては国内の生産量が増えたため価格は安定的に推移しており、消費者からも自由化政策は肯定的に受けとめられている。かつては消費者に対する食料関係の補助金は国民の9割が対象とされ、国家予算の1割を投入するという多額のものであった。こうしたこともあって国民一人当たりの穀物供給熱量は3,700カロリーと、世界でも最も高い国の一つとなっている(Ali, IFPRI, Research Brief 1)。

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ミャンマーにおけるコメの需給政策

 ミャンマーは1988年のクーデターで軍事政権が発足し、その後も軍の強い指導力の下に国政が行われている。しかし、経済発展を目指す同国では農業に対し管理制度から自由制度へと移行しつつある。

 ミャンマー政府は1988年までは国内の全収穫量の30〜35%を農家から直接購入し、公務員、軍人、病院などに安い価格で配給していた。その安い価格とは全国同一の政府価格でしかも輸送コストなどは差し引いた価格であった。このためコメ生産農家は自家消費の分を差し引いた残りの量はすべて国に供出することになっていた。また、村や街の範囲を越えて農家が販売することは許されず、国家の独占市場となっていた。

 軍事政権の誕生を機に1989年からは制度が改正され、政府への供出は存続することとなったが、それ以外の国内市場が基本的に自由化され、政府は供出米を利用した国際貿易(輸出)を担当するのみになった。その後世界が自由化に進む中で、ミャンマーもその方向に進みつつあったが、1997年産米から制度は再び大きく変わった。農家の供出は1エーカー当たり12袋(1袋はモミ46ポンド、つまり1ha当たりモミ621キロ)で政府はこれを「フローア価格」という名目で市場価格より大幅に安い価格で買い取っていた。

 この強制買い付けが1997年産米から廃止され、国は基本的には市場価格で買い付けることになった。その方法は@一般入札制 A特定契約買い付け業者制 B農家の自主販売制−−の3つからなる方法によって買い付ける。これまで政府は強制買い付けの方法で年間生産量の10〜12%を買い付けていた。1997年産米に対してはこの新しい方法でモミ200万トン(全生産量の約12%)を目標に買い付けを行う。

 ミャンマーでは1988年から国内自由化は進められてきたわけだが、これと同時に、肥料・農薬等に対する国の補助金も徐々に少なくなってきている。国の市場経済に対する統制や関与を少しずつ取り除いていくという世界の流れにミャンマーも沿って動いてきたわけであるが、1997年はとくにその流れを強くした。先の強制買い付けを廃止したと同時に、12月からは国内のコメ販売・流通に関してはこれまでの5%の税金をも廃止した。国内流通をより活発化させようとするねらいがある。

 国際貿易は未だに政府の独占となっている。しかし、政府の貿易担当者も「国境のすべての部分を監視することはできない」と、ヤミ貿易が相当あることを自認している。輸出を抑えることにより国内価格は安定することにはなるが、それは生産農家にとって必ずしも喜ぶべきことではない。国際市場価格が比較的高い近年の状況においては国外に販売することが農家の利益につながる。

 ミャンマーのコメ輸出量が少なくとも政府の公式な数字では1970年代から一定して減少している理由に次のような実情もある。政府は1エーカー当たり12袋という強制買い付けの中から一部を貿易に向けていたわけであるが、この強制買い付けはモミの品質については何も問うていなかった。よって、生産農家は品質の悪いものをあえて政府への供出用に当てていたわけである。また、良質米のみを生産するような優良農家に至っては他の農家から質の悪いコメを安く買って、それを供出用に当てていた。こういう状態では政府米は品質の悪いコメだけが集まってくる。(これは中国でも見受けられた現象である。)よって政府がそのようなコメを輸出しようとしても国際競争には到底勝てないわけである。こうして政府もコメの輸出にはしばらくの間、興味を持たなくなっていたと考えられる。その一方でタイはコメ輸出に力を入れ、量としては世界一位の座を保ってきたと言える。

 コメの輸出を担当する商業省の役人も今年の一段と進んだ国内自由化はやがてはコメ貿易も含めた自由化にまで進むと断言している。ミャンマーの経済を活性化させる方策として当の政府はコメの輸出対策に力を入れ、輸出促進を計るのは急務であろう。

発展国も途上国も...

 アフリカ諸国の食料政策は近年、これまでの規制主義から自由化へと大きな変換をしつつある。こうした動きはWTO(世界貿易機関)の貿易自由化とも足並みをそろえたものであるが、一方で、補助金による政策には政府も予算の限界を感じ、政策の方向転換を余儀なくされているという状況でもある。貿易も含めた国内自由化により、農家は市場価格の変動にこれまで以上に強く影響されることになる。また、輸入の影響も受ける。しかし、アフリカ諸国の人口増は年率3%と高い状態が続いており、域内の食料の需要増は必至である。中でも、コメに対する需要は強く、域内のコメの生産増は重要な課題である。

 幸いにして潜在的な水田適地は西アフリカ諸国をはじめ多く残されている。また、無肥料、無農薬という、放置栽培による低い生産技術のため単収は低いが、そのような状況が整備されれば増収の可能性は極めて大きい。農民の自力による水田開発は市場価格が上昇している近年の状態が続くとなると、今後は生産は益々増加してくるものと思われる。その一方で、先進国による開発のための援助や投資も重要性を増してこよう。

 世界各国のコメ政策はガット・ウルグアイラウンドの合意に基づき、国内補助金の削減が義務づけられ、また、すべての農産物において少なくとも部分自由化が課せられた。そして現に自由化は世界各国において速いスピードで行われつつある。このような自由化の方向は必ずしも「合意」によって義務づけられたから進められているというわけではない。それは発展国、途上国を問わず、"助成したくともその資金がない"という台所の事情がそれぞれの国々にある。また、国の規制によって一部の人々に利益が集中したり、農家の生産意欲をそいだりしてきたことに対する反省の表れでもある。

 生産者が市場価格の変動に対し自由に対応できるという制度は本来あるべき姿であるが、買い占めや独占などを理由に政府が管理するという政策が多くの国々でとられてきた。しかし、近年ではそのような体制が徐々に改善され、国内的、国際的に自由化の方向に進みつつある。そして、それは食糧生産では世界のトップをいくアメリカにおいても、また、世界最貧国10か国の一つとされるアフリカのマダガスカルにおいても、そしてアジア諸国においても規模の差はあれ同じ方向に進みつつある。


4.2 需給の見通しと価格


 供給量というものは常に供給サイドへのメリットがプラスかマイナスかによって大きく左右される。それには産物の販売価格から生産してさらに販売するまでのコストを差し引きしてプラスであれば増産となるし、そうでなければ減産ということになる。よって、販売価格がたとえ下がっても単収の増加などで生産コストがそれ以上に下がればメリットはプラスになり増産されることになる。また、競合作物との関係で他の作物よりコメの方がメリットが大きいということになれば水供給などの手配ができる限りコメの生産が増えるということになる。歴史的にみて実質価格が値下がりしているのに生産量が増えているのはこうした総合的な理由からである。

 また、前述したように世界においてコメの増産は単収の高いアメリカをはじめ、単収の低い発展途上国でも増産の潜在性は非常に大きいことが確認される。こうした中で今後のコメ需給の見通し及び価格の動きはどのように見通すことができるのであろうか。

 アメリカでは最大のコメ生産を誇るアーカンソー州のアーカンソー大学は、世界のコメ需給予測で知られるが、1997年7月に2010年までの見通しを発表した。これによると世界のコメ生産(収穫)面積は1995年の1億4,862万haから2010年には1億5,165万haへと2%の伸び率と予測している(図4-2-1)。また、平均単収は1995年の2.50トン/ha(精米)から2.87トン/haへと15%の伸び。よって、生産量はこれら2つの伸び率の和になるわけで、1995年の3億7,159万トンから2010年には4億3,559万トンへと、17%の伸び率を予測している。15年間に17%の増産ということは年当たり約1.05%の伸び率になる。

 また、国際価格の動きについては代表格のタイ産米100%Bが 1995年の362ドルから2010年には359ドルへと、1%の値下がりの見通しを立てている。つまり、市場価格は、人口増に伴う需要増はあるものの生産量もそれに合わせて増大し、このため若干の値下がりの可能性が強いと、みているわけである。価格の上昇の傾向は短期的には多少の値上がりがあっても、長期的には値下がりの方向で推移するとの見通しである。同じく世界の食料需給予測で知られるアイオワ・ミゾーリー両大学の食料農業政策研究所(FAPRI)による世界のコメの需給予測はアーカンソー大学のものとほぼ同じである。

 一方、国際研究機関であるワシントンの国際食料政策研究所(IFPRI)は1990年をベースに2020年までの30年間の長期見通しを行っている(Rosegrant, et al., 1995)。これによると、コメの生産量は1990年の3億4,947万トンに対し、30年後の2020年には5億6,615万トンへと、62%の増加を予測(図4-2-2)。30年間に62%の増産ということは年当たり約1.62%の伸び率となる。また、国際価格はタイ産米5%brokenの場合、1990年の231ドル/tから2020年には181ドル/tへと、22%の値下がりを予測している。

 さらに、国連のFAO(国連食糧農業機関)は1988年から1990年までの3年間のデータをベースに2010年の見通しを公表している(Alexandratos, 1995)。これによると世界のコメはベース年の3億4千万トンからその20年後の2010年には4億8,200万トンと、42%の伸び率を予測している。これは年当たりの増加率は1.68%となる。このFAOのモデルは価格のデータも含んだものであると説明されてはいるが、資料の中では公表されていない。

 ところでコメの国際貿易の予測では図4-2-3にアーカンソー大学の見通しを表したが、紀元2010年までに2,079万トンへと、1996年の1,781万トンに比べ、17%の伸び率となっている。これは1994年がほぼ2,200万トンで、翌1995年も約2,000万トンであった現状からみると極めてコンサーバティブな見通しとなっている。

[*IFPRI及びFAOの予測では貿易に関しては各国の純貿易量(net trade)として表しているため、貿易量そのものを正確に読みとることはできない。日本では国際価格の大幅な上昇という予測を出している機関もあるが、海外の各研究機関の見通しとは大きく異なっている。]

 これらの生産量の伸び率の予測には各研究機関によって多少の差はあるが、価格の動きについては値下がりの方向が強く表れている。FAOは価格の見通しを公表していないが、生産量の予測がIFPRIと非常によく似ていることから、価格も値下がりの方向で予測されているものと察せられる。こうした予測から判断できるのは価格の値下がりの予測からみられるように、需給状態は今後さらに改善されるということである。

 このような予測に対し世界各地の生産・消費の現場を数多く調査してきた筆者らには非常に現実的な予測であると判定する。世の一部には極めて悲観的な見方をする向きもあるが、例年にない大災害が世界的規模で発生しない限り穀物物価が数倍に暴騰した1970年代の状況などは予想しがたい。世界にはそれだけまだ増産の潜在能力がある。そして、それは価格の少しの変動にも大きく左右される。だからこそ価格は大きくは変動しにくいという世界のメカニズムが存在する。そして、このメカニズムは世界の貿易が自由化されればされるほど強く働いてくることになる。このことは第U章第1及び第4節、第V章の各節で詳しく診た通りである。

 価格が値下がりの方向で安定的に推移するとどうなるか。コストが安く生産体制をより効率的に推し進める国々は増産し、輸出量をも増大している方向に進むであろう。逆に、すでにコストが高い国々は自給体制を改め、輸入の体制を強めるということになるであろう。中国はその点では国内外の経済状況をみつめながら非常に巧妙にコメの輸出入を繰り返してきたと言える。国際価格が高騰した1974〜5年には一気に輸出量を拡大し、国際価格が大きく低迷した1990年代初期には国内の非農産業が好調であったことから農業の増産体制をゆるめ、農産物の輸入依存もある程度は是認する状態であった。確かに1994年からの国内米価の値上がりには国内増産体制を再度強調することになったが、1998年の時点ではコメは再び供給過剰ぎみになり、国内価格も値下がりしている。こうなると再び中国はコメの輸出に力を入れることになる。1997/98年度には中国は再び百万トンの大台を越す150万トンの輸出が見込まれている。今後、非農産業が順調に発展し、農業収入が相対的に低下すればコメの生産量は減少し、輸入が増えることも十分にあり得る。

 各研究機関の国際価格の見通しでも値下がりの方向が強く出ており、市場価格の動向をみながら国内の生産増体制を見直し、輸入量を増加していく国々は多く出てくる可能性がある。しかし、そのような場合でも国際価格が1970年代を彷彿とさせるような高騰する事態は考えられない。価格が上昇傾向になると各国も必ず新たな増産体制に転換するからである。世界のコメ需給はそのような柔軟性を備えている。


4.3 日本に期待されるもの


農業の海外投資を

 世界の食料事情は日進月歩で変化している。農業においても他産業と同様に技術の発展により事情は日ごとに異なっている。それは混乱の方向に進んでいるのでは決してなく、むしろ実質価格が長期的には下降線をたどっており、価格の変動幅も小さくなっていることからみられるように、供給の拡大かつ安定化に進みつつある。技術の進歩はとどまるところを知らず、インフラの改善を含め、生産技術、運搬技術、そして通信技術が総合的に進んでいる。よって、食料供給も国際間で調整するような時代に至っている。そして、それは国際間の競争でもある。

 また、世界をまたにかけた人の移動も数十年前に比べ驚くほどに容易になっている。当然ながら一人一人の人間の活動範囲は広くなり、経済活動も、農業(食料産業)を含めて、拡大しているわけである。その渦中にあって日本農業が活動の枠を日本の国土の範囲内にとどめておくことは国際活動の中で自らを窮地に追い込むことにならないだろうか。土地が安くふんだんにあれば話は別であるが、農地が限られ生産コストが極めて高い現状では、生産物はとりわけ特殊化した価格の高い農産物の生産に限られてくるであろう。

 日本農業の大きな責務の一つに日本の消費者に対し、食料をできるだけ安価に安定的に供給すること――があげられる。しかしながら、現状はコストは必ずしも安くなく、かつ、現代の農家の年齢構成をみると農家の数は近い将来に激減し、現在の生産量を維持することさえおぼつかない様相を呈している。

 日本農業はこれまで日本の国土で営むものを是としてきたが、将来においてはその国土という枠を飛び越えて、海外にまで活動範囲を広げていく必要がある。また、外国もそれを期待しているわけである。例えばアメリカにおいてさえも、本当に日本の消費者が好んで食べるようなコメは大量には生産し得ていない。それは品種の問題だけでなく、生育期の水管理や施肥量、そして適期収穫の判断など、日本の農業からみればまだまだ未熟な技術しか持ち合わせていないのが実状である。大規模でコストは安くても繊細な面での技術がない。過乾燥のため胴割れのコメが多く発生しても、コシヒカリを生産して全部が倒伏しても、アメリカの農家には施すすべがないというのが実態である。もちろん米国の農家も努力はしているが、その専門の技術者がいない状態では早急な改善は期待できない。日本の技術が導入されれば、それは早いスピードで改善されるであろう。

 一方、発展途上国では生産技術よりもっと以前の段階でとどまっている。肥料が買えない、優良品種の種籾が買えない、水利施設が整備されていない・・・・など、資金不足による基本的な問題が山積している。安い労働力はあってもそれを雇って生産を高めるだけの経済力がないのである。現に、肥料を十分に投入し生産管理をしっかりやれば単収は2、3倍に増えることがはっきりしているのだが、それが実行できない。そのために農家も自ら不足分のコメを買わざるを得ないという状況がみられる。同時に生産したものが期待するほどの値段で販売できないというジレンマもある。

 こうした中、世界の食料問題で今後、日本に期待されるものの中には外国における日本の農業投資が極めて重要な項目として上げられよう。土地の所有権まで認めて海外からの投資を呼びかける国々は多い。日本の海外に対する農業投資は一般に商社や食品産業にかかわる企業によって主に展開されてきた。しかし、海外において必要としているのは経済的なものだけでなく技術の面での支援が重要である。これまでの商社や食品関係の企業の投資では生産技術面での投資が極めて乏しい状態である。大企業といえども海外の現場に派遣する人材は生産技術においては余り知識のない若手の場合が殆どである。このような場合は派遣された本人も手探りで現場に対応するという、非効率的な状態にある。

 海外での投資に対し現地の住民から「搾取」する、という見かたをする向きがあるが、そういうことでは全くない。現地の人々と共に経済活動をするということが現地の人たちにもプラスになる。次のような話がある。アフリカの開発についてアフリカ諸国が一堂に会して話し合っていたとき、ある学者が、先進国の資本投入によってアフリカが「再植民地化」する恐れがある、と発言したところ、出席者から「あなたの考えは1970年代の思想のままだ」と、批判されたという(毎日新聞、1997年9月19日号、「海外コラムニストの目」)。これは発展途上国が建て前をどうこうするよりも、現状を打開し経済発展することがまず重要であると認識していることを如実に物語っている。もちろん海外投資した場合にその国から搾取するような姿勢では経営そのものが成り立たなくなるのは当然である。双方にとってメリットの出る経済活動が営まれなければならない。

 海外援助では生産できる段階までは援助しながら、販売できる段階にくると援助を終わってしまうことがある。そして現地では販売先が確保できないまま再び貧困に陥る。このような中途半端な援助に対し、海外投資ではそこからがメリットの出るところであり、相手国も経済活動のパートナーとして日本を含めた海外からの投資を求めているわけである。よって、生産物を日本に輸入したり他の国々へ輸出することにより生産現場は潤うわけであり、投資をした側も食料生産の基地が確保できたことになる。
日本で食料生産の技術を備えながら資金もあるという組織は農業協同組合であろう。農協組織では組合員である農家、そして技術指導員がいる。生産技術と資金を持った日本の農家や農協が海外投資することにより、日本農業が国土を超えて食料の生産をするという新たな時代に入ることになる。日本の農家や農協が海外において現地の農家と経済協力しながら生産体制を築きあげることは日本の消費者にとっても意義深いことである。そして、そのような方向に日本農業の発展の可能性が残されているように思われる。

 これはまさにビジネスチャンスであり、先進国間の競争でもある。よって、日本の農家や農協がこれをやらなければいずれは誰かがするであろう。それは新たに技術者を携えた日本の商社であるかもしれないし、海外の農企業家であるかもしれない。そして、その結果、日本にもより安い農産物が輸入されることになるかもしれない。その時に日本の農業関係者が反対を唱えてもそれはますます、理に適わない意見として消費者にも映るのではなかろうか。日本の農家や農協が商社や食品会社などと手を携えて海外での食料増産に取り組む時代が早くくることを期待したい。


世界でコメの消費拡大運動を

 第2章第5節でアジアのコメ消費減退に付いて触れたが、これはコメ生産を基盤としているアジアの農業にとっては実に由々しきことである。このままではアジアにおけるコメの消費量は減少していく可能性が強く、世界のコメは過剰気味、つまり価格が低迷する方向で進むことになる。また、アジア地域ではモンスーンや高温地帯が多いため、コムギ作の適地は限られている。よって、アジアの農業は停滞し、その一方でコムギの生産に転換すべく大きなコストを支払わなければならないことになる。これはある意味では欧米諸国とアジア諸国との農業競争である。負ければこの国際化の中でアジアの農業は欧米の農業に比べ大きく後退するであろう。その結果、アジアの食文化が欧米の食文化に取って代わられる、といっても過言ではない。

 また、アジアでは前述のようにコメの消費量がまだ多いが、徐々に減ってコムギが増え、その差が縮小しつつある。しかし欧米の一人当たりコメ及びコムギの消費量をみるとその差に驚かされる(表4-3-1)。1993年のデータをみると西ヨーロッパ諸国ではコメの消費量が数キロから20キロ足らずのレベルに対し、コムギは100キロを超え、多いところではデンマークの400キロに及ぶ。最も少ない国でポルトガルの98キロであるが、この国ではコメの消費が18キロで欧米諸国の中では最も多い。コメの消費が増えていると注目されるアメリカでもコメ13キロに対しコムギは109キロである。また、カナダはコメの7キロに対し、コムギが199キロとなっている。東ヨーロッパ諸国はもっとすさまじい。コメの消費量はほんの数キロ。これに対し、コムギは200キロ前後から300キロ余りに及ぶ。

 このような数値からみるとコムギとコメが世界各国では代替財の関係にあることが鮮明になってくる。そうであればコメの一人当たり消費が少ない国々に対してコメの消費拡大キャンペーンを張ることは現地の人々の消費者に対しても食事内容の多様化をはかる点で意義深いものがある。そのようなキャンペーンはまず、食料援助のかたちで始めるのもよい。日本も戦後は米国からコムギの84万トンをはじめコメ、大麦、トウモロコシなど、合計約130万トンの食料を援助物資(PL480,titleT)の名目で輸入した (Tweeten, 1979)。そして、コムギの消費量が見る見るうちに増えていった。

 アジアのコメ消費減退によるアジアの農業危機を回避するため、日本としては何ができるであろうか。この流れを変えるいくつかの方法の中で、あらためて次の3つの対応策を考えてみたい。第一にはこの章の冒頭で述べたように、アジア諸国に対する農業投資であり、これによってアジアの稲作をより効率化し、生産コストを下げ、コムギとの相対的な価格競争に勝ち抜いていく必要がある。その点で全国に点在する農業試験場や研究機関の役割は大きい。こうした日本の研究機関の研究目的はもはや日本国内や地域内のためだけの研究であってはならず、世界の食料需給の改善を前提にしたものでなければならない。いまは日本の研究もそのような時代に至っている。

 第二には、コメの加工品の開発をもっと強力に推し進めるべきである。これまでの開発試験は日本産米を利用するという前提が強かった。日本産のコストの高いコメを利用した加工品は当然ながら製品も高くなり、結局は採算が合わないということになりかねない。これからの日本におけるこのような研究開発の目的は必ずしも日本産米を利用するというものではなく、アジアまたは世界のコメを利用するという広い視野からの対応が重要である。そのことは結局は日本産米へのニーズも高めることになる。というのは、コメ全体の需要が高まることによって国際価格には上昇への力が加わると同時にコメにそれだけ関心が集まるということになる。よって、相対的に高価な日本産米に対してもプラスの波及効果が期待できることになる。外国産米を利用した加工品の開発や他用途利用の開発は一見、日本産米にマイナスのようにみえるかもしれないが、実はそうではない。アジアのコメを守る意味からも、日本の農業関係者や行政、研究機関はこの面での努力を今後さらに積極的に進める必要があるだろう。

[*コメの他用途利用の研究の中では、飼料として利用することにも決して消極的になる必要はない。すでに、中国では家畜のえさとしてインディカ米を中心に利用されている。一部の統計によると中国のコメの飼料用途は一千万トンを超える量(1995年、モミ換算)となっている(Crook, 1996)。ベトナムでも南部では飼料として利用された経過がある。コムギも世界では一億トン前後、総生産量の20%近く、が飼料に使われている。コムギの飼料用途はアメリカで生産量の10%余り、カナダで約20%となっている。]

 そして、第3にコメの市場開拓キャンペーを世界で繰り広げること。これはアジアの各国が力を合わせて展開していかなければならない。特にコメ消費の少ないヨーロッパ諸国や旧ソビエト諸国で大々的に行ってはどうであろうか。日本は1970年代後半から農協を中心に国内の消費拡大運動が展開されてきた。それは一定の効果はあったと思うが、その運動が国内のみに終始したのは残念である。コメ市場を国際的に開拓するということについて日本の農業関係者は非常に消極的である。この点はアメリカに大きな遅れをとっており、率直に学ぶべきである。米国がたとえ小さな国々の市場であってもなぜ海外の市場開拓に必死になるかということは単純明快で、生産者にとって市場が拡大することはプラス(所得増)にこそなれマイナスにはならないからである。時おり日本では米国が日本に農産物の市場開放を求めてもそれで得られる貿易黒字はわずかなもので、日本の一千億ドルに及ぶ対米黒字は解消されない ― という論、がひところよくささやかれたものだが、そのような考えに対し、米国は少しも耳を貸さない。米国の農業関係者はまず自分たちのプラスになることであれば小さなことであってもそこから始めるのである。

 市場が拡大するということは消費量が増大すると同時に市場価格が上昇する方向に働くことを意味する。逆に市場が縮小するということは価格も下がるということである。市場価格というものは必ずしも生産コストを即反映するものではない。需要と供給の関係により決まるものであり、需要、つまり市場、が拡大すれば価格は値上がりの方向へ作用する。現実にはその他の要因もあって市場価格は市場拡大にもかかわらず値下がりすることもあるが、その時に市場拡大がなかったならもっと下落していたと考えられる。よって市場の開拓という運動は生産者サイドにとって実に重要なものである。

 世界においてコメの生産コストを下げ、同時に消費を拡大し、コメの地位を向上させることがアジアの農業資源を保護することにつながってくる。世の中、何においてもそうであるが、使われなくなったもの、用を足さなくなったものは風化し滅びていく。逆に使われるものはさらに磨きをかけられその価値を増してくる。アジアのコメ資源・農業資源に磨きがかけられるか、それとも風化の道に葬り去られるのか、アジア人としてまたそ重要な位置にいる日本人としてアジアのコメ消費減退をただ傍観することは許されない。

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 人口が増えて世界は食料不足になるというマルサスの人口論はいまから200年前に考えられたことである。マルサスが現代の食料供給過剰の社会をみたらどう思うであろうか。マルサスの人口論は常に念頭に置いておかなければならないことではあるが、技術の発展を無視した単純な計算で将来を予測することはできない。100年単位の超長期的には天災を予想した対策が可能な限り建てられなければならない。しかし、そうしたものでも現状や技術の発展を認識したうえで計画されなければ机上の空論と化してしまう。

 食料不足は簡単には来ない。幸いなことに消費者にとってはめぐまれた時代である。しかし、供給サイドは競争がより激しくなる時代である。いや、競争ができるより立派な"道具"が整ってきたとみる方がよいのかもしれない。だからこの道具を使わなければ競争に負ける。その国の農家が国際競争に負けてもその国が他産業で勝っている限り食料の供給は安定している。このような時代に世界は至っている。そういう時代の中で日本はどう世界に貢献できるのかを考えなければならない。


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